アスール・ルーノ

7


 シエネの街は、最初に通っただけで、あとはずっと宮殿に詰めていた。そろそろ息が詰まりそうになっていたので、これにはルーナは有難かった。
 ソーレの後について、一旦、宮殿の外に出た。眩しいほどの明るい光に、ルーナは思わず目を眇めて、手のひらで影を作る。
 とても心地好い。ルーナは思わず、も備をした伸びをした。

「ここから馬だ。本部は宮殿の敷地にはあるが、少し離れているからな」

「はい」

 やはり、皇帝陛下が住まう場所なだけあり、敷地はルーナが想像出来ないぐらいに広い。恐らくは、町ひとつぐらいはすっぽりと入ってしまうだろう。

「宮殿内にある騎士団の本部は、第一騎士団のみだ、他の騎士団本部は総てシエネの街にある。後は、外交省、大蔵省、元老院、衛生省、軍事警察統帥省、宮殿のお世話をする宮内省の本部が、宮殿内にある」

「やっぱり、第一騎士団はそれだけすごいということですか?」

「いいや。皇帝陛下を護る役目を賜っているからだけだろう」

 ソーレはまるで他人ごとのように言うと、足早に厩舎へ行ってしまった。

「月の子、行くぞ」

「あ、はい」

 ソーレは手早く毛並みの良い白馬に跨り、ルーナもまた艶やかな漆黒の愛馬に跨った。

「ここから十分ほど走れば、第一騎士団本部だ。俺から離れるなよ」

「はい。迷わないようにします」

「そうだな。迷子は困るからな」

 ソーレは目を伏せながら言うと、何かを振り払うように前を見、そのまま馬を走らせる。

「あ、待って下さい! ソーレさんっ!」

 相変わらず、ソーレはせっかちだ。思い立ったら動きがかなり早い。
 ルーナは必死になって追いつくしかなかった。
 とにかく、この宮殿で迷子になってしまったら、途方に暮れてしまうだろう。それぐらいに宮殿の敷地は大きい。

 ソーレの背中を必死になって追いかけてゆく。
 ソーレの後ろ姿を見ていると、まるで背中に羽根でも生えたのかと思うぐらいに、神々しく見える。
 太陽に愛されたような黄金の髪と、しっかりと鍛えられた強靭でしなやかな肉体、そして誰をも護ることが出来るのではないかと思うほどの広い背中があるからではないだろうか。
 ルーナはまるで太陽神の後を追いかけているような気分になった。

 宮殿から十分ほど走ると、ベージュ色の煉瓦で彩られた、大金持ちの邸宅のような建物が見えてきた。
 太陽と月、そして獅子をあしらった荘厳な紋章が掲げられている。すぐに、この建物が騎士団本部だと解った。

「ソーレ・アポロ団長がご帰還です!」

 門番の騎士が高らかに声を上げる。門番は良い声でなければなれないのかと、ルーナは思った。ルーナが門番に反応したのをみて、ソーレは深く微笑みながら声を掛けてくる。

「あれでも、門番は、出世コースだからな」

「え?」

「俺もやったことがある」

「なるほど」

 馬を降りながら、ルーナは思わず笑顔で頷く。ルーナが納得してしまうほどに、ソーレは美声だった。

 ソーレとふたりで第一騎士団本部建物に入る。
 ソーレは団長であるから堂々かつ颯爽としていたが、ルーナは何だか恐縮してしまった。
 団長室に向かうまでの間、誰もが敬礼をして、声を掛けてくる。
 ルーナがいちいち恐縮しながら頭を下げるしかなかった。
 その際に、騎士たちは口々に「月の民だ」とこそこそと噂をする。
 ヒーラーは噂の種になるほどに珍しいものではないのにと、ルーナは思わずにはいられなかった。

「ソーレさん、シエネの街でも、ここでも、月の民だというだけで、こそこそと噂されます。どうして、ですか? ヒーラーである月の民など沢山いるのに。私が若いだけというのにしては、何だか噂をされ過ぎだと……」

「気のせいだろう……、なんてごまかせるレベルではないか。今、第一騎士団専属のヒーラーがいない。だから、新しいヒーラーではないかと、噂をしている。それだけだ」

 ルーナは腑に落ちた。各騎士団には、高い能力を持つ、専属の軍医とヒーラーが必ずいる。ルーナがそう思われてもしょうがない節はある。とはいえ、騎士団の専属ヒーラーになれるほど、ルーナは経験もなく、年も若すぎるのだが。

「確かに、それなら解りますが、私はそんな能力はありません」

 ソーレは何も言わず、ただ先に進む。
 ソーレに連れられて向かったのは、いちばん奥にある、荘厳にして立派な団長室だった。

「ここで書類を見なければならないから、少し待っていてくれ」

「はい」

 ソーレは第一騎士団長らしい豪奢な椅子に腰を掛けると、書類に目を通し始めた。

 ルーナは特にすることがなく、団長室のソファにちょこんと座る。騎士団本部の建物を探検してみたいという気持ちはあるが、流石に迷子にはなりたくなかった。迷子になる自信はあったが。

 ふと、仕事をしているソーレの横顔を眺める。なんて綺麗なのだろうと思わずにはいられない。団長室は、光が美しく入るように調節がされていて、ソーレの見事な黄金のようなブロンドを、より豪奢に見せている。その上、海よりも蒼い力強い瞳は、情熱と冷静が交差し、とてつもない強さを秘めているように感じた。

 真剣に仕事に向き合っている男性と言うのは、なんて素晴らしのだろうかと、ルーナは思わずにはいられない。つい、うっとりと見惚れてしまう。
 アーキルもそうだが、自分の全身全霊を仕事に向ける男性と言うのは、なんて素晴らしいのだろうとルーナは思わずにはいられなかった。

 この姿をずっと見つめていたい。ソーレを見つめていると、まるで白昼夢の中に迷い込んでいるかのようだった。
 空間も超え、時空すら超え、それらとはまったく別の次元に存在しているような気がしてしまうほど、ソーレは素晴らしいと思う。

 ソーレを見つめていると、それだけで満たされる。それは、美しい芸術を鑑賞した時と同じような感覚だと、ルーナは思った。

 あまりに、熱心にソーレを見つめていたからだろうか。ルーナが見つめていることを、ソーレに気付かれてしまったようだった。ふと、ソーレの切れるような冷酷な眼差しが、ルーナを捕える。
 冷徹で厳しすぎる眼差しに、ルーナは思わず目を逸らせた。このような視線で見つめられたら、それだけで殺されてしまうのではないかと、ルーナは思った。

「どうした?」

 ソーレの声がいつも以上に低い。まるでルーナを非難しているようだ。

「何でもないです。ただ暇なので、ソーレさんを眺めていました」

「俺なんかを眺めてどうするんだ、お前は」

 ソーレはあからさまに嫌そうに呟く。じっと見つめられたりするのが、どうも苦手な性分のようだった。

「こんなことを言ったら怒られるかもしれないですけれど、何だか、芸術品を見ているようで、綺麗だなあと」

「はあ!? お前はまた頓珍漢過ぎることを」

 全く頓珍漢なことを言うルーナに、ソーレからは厳しい表情がなくなり、どこか脱力をしたような顔になった。

「お前、本当に、ヒーリングの力以外は、普通の子供だな」

 先ほどまで険悪な表情が一気に崩れ落ちて、ソーレは一気に青年特有の明るく人懐こさを漂わせた表情になる。
 厳しく冷酷な表情が第一騎士団長の顔であるならば、この明るく屈託ない表情は、ひとりの青年、ソーレ・アポロの素の姿だ。
 その落差に、ルーナは一気にソーレをより身近に、そして素敵な存在であることを認めた。

「どうせ、子供ですよ!」

 ルーナがわざと頬を膨らませると、ソーレは再び苦笑いを浮かべる。その表情はとても魅力的だった。

「とにかく、書類を見終わったら、街に出る。もう少しだけ、待っていろ」

「はい、解りました」

 ルーナは静かに頷くと、今度は、団長室の窓によりかかって、外の景色を見ることにした。こうしていれば、ソーレが気を散らせるということはないだろう。

 ルーナはじっと窓の外を見つめる。
 宮殿の敷地内は緑が豊かで、沢山の薬草が茂っているのではないかと、そんなことを考える。エスメラルダの病状を安定させるような薬草はないだろうか、そんなことをぼんやりと考えながら、景色を眺めた。

 見れば、見るほど、宮殿の敷地は、緑の要塞のように見える。ここには、帝国の総てが集まっている。ここで国の重要なことが数多く決められているのだ。そんな場所に自分自身がいることが、奇妙なことのように思える。

 ただの月の民。
 蒼い月の夜に生まれただけの子供。ここの仕事が終われば、もう二度と来ることはないだろう。ルーナはこの景色を想い出の一つとして、目に焼き付けておこうと思った。

「おい、月の子、終わったぞ」

 ソーレは凝ったとばかりに、肩をコキコキと上下に動かしながら、荘厳な椅子から立ち上がった。

「あ、はいっ! ソーレさん!」

 ルーナは驚いて思わず背筋をシャンと伸ばした後で、ソーレを見た。

「そんなに硬くなるな。何を見ていた?」

「緑を見ていました。ここには薬草になるような植物が沢山あるようで、摘みに行きたいと思いました。エスメラルダ様を癒せる薬草が見つかるかもと思ってました」

「お前は仕事熱心だな。まあ、薬草摘みには付き合ってやっても良い。アーキルも今度は昼寝なんぞには行かずに、一緒に来てくれるだろうからな」

「はい!」

 アーキルの名前を聞いて、ルーナはふと切なくなる。アーキルは昼寝などではなく、きっと、エスメラルダがこうなった理由を探りに行ったのではないかと、勘ぐってしまう。

「ソーレさん、アーキル先生はごろ寝なんてしに行っていないですよね? 確かに、普段はぐうたら医師だし、ごろ寝は先生の趣味だけれど、だけど、エスメラルダ様がこうなった理由を本当は調べに行っている。そうじゃないですか?」

 ルーナは思いつめたようにソーレを見つめる。するとソーレは真摯な表情で頷いた。

「そうだろうな。だから、お前を俺に託した……。というよりは、俺たちを巻き込みたくなくて、自分ひとりになりたかった……。が、正解だろうけれどな」

 ソーレは溜息を吐きながらも、友であるアーキルを心配するかのように目を伏せる。

「とにかく。あいつは殺しても死なないから、ひとりで大丈夫だ。あいつの技量は俺が太鼓判を押すから。心配するな、月の子」

 確かに危険なことがあっても、アーキルの技量ならば大丈夫だろう。だが、ルーナはアーキルの心が壊れないかどうか、それが一番の心配だった。大らかで寛容な強き心を持つアーキルだが、エスメラルダが絡むとまた別だと、ルーナは思った。

「ほら、行くぞ」

「は、はいっ!」

 ソーレはまた素早く部屋を出て、厩舎に向かう。ルーナは慌ててその後を追った。ソーレといるとおいてけぼりを食う可能性が高い。ぼんやりせずに、しゃんとしておかなければならないと、ルーナは思った。

 ルーナとソーレが騎士団本部の回廊を歩いていると、目の前から、それこそ目が3回覚めてもまだ足りないぐらいの、美しい女性がこちらに向かって歩いてきた。背が高くスタイルも良く、完璧な美女だ。輝くブロンドの長い巻き毛を無造作に揺らしながら、優雅に歩いている。美しく伸びた背中にぴったりの、統制本部の軍服を優雅に着こなしていた。

 ルーナは思わず口をあんぐりと開けて見つめてしまう。
 女性は、ソーレとルーナの前でぴたりと歩みを止めた。

「ソーレ、お疲れ様。久しぶりね、本部に顔を出すのは」

「総本部長、お久しぶりです」

 ソーレが背筋を伸ばして敬礼するのを見て、ルーナは益々驚いてしまう。まさか、この美しい女性がソーレの直属の上司だとは、思ってもみなかった。

「ソーレ、あなたの横のかわいこちゃんは、噂のヒーラーかしら?」

「あ、あの。月の民のルーナと申しますっ!」

 ルーナはこれほどまでに美しい女性を今まで見たことはなくて、鼓動を早くしながらぎこちなく挨拶をした。緊張するぐらいに美しくて、格好良い女性だ。総てを兼ね備えていると言っても、過言ではない。ハンサムウーマン。まさに、その言葉が似合った。

「“月の子”ちゃんね。ルーナ」

 女性はとても魅力的な艶のある声でルーナの名前を呼ぶと、洗練された指先で頬を撫でる。こんなことをされたことはなくて、ルーナは、心臓がそのまま口から飛び出してしまうのではないかと思うほどにドキリとした。
ルーナはすっかり女性に魅了されてしまい、ぼんやりと見つめてしまう。真っ赤になりながらもうっとりと見つめるルーナに、女性は更に甘く微笑んだ。

「まあ、まあ、月の子ちゃんの可愛いこと」

「からかうのは止めてあげて下さい」

 ソーレはうんざりするように言うと、自らの上司であるにも関わらず、女性を睨みつける。

「まあ、ソーレって怖いわね、月の子ちゃん」

「あ、そ、その、まあ、怖いっていうか……、その」

「早く、月の子に自己紹介をしてあげて下さい」

「あ、そうね。そうだったわね。月の子ちゃん、私は、軍事警察統帥庁の騎士団全体の総本部長をしている、ヴィーナス・アポロです。以後、仲良くしてね。あなたに逢うことが出来てとても嬉しく思うわ。おばば様にはいつもお世話になっているの」

 騎士団全体を統括しているとは思えないほどに優しい笑みをルーナに向けてくれる。益々憧れてしまう。

「よ、宜しくお願いします」

 ルーナは、益々身体を固くしながら、ヴィーナスに深々と頭を下げる。ルーナを見護るかのように、ヴィーナスはずっと優しい眼差しで見つめてくれた。
 ヴィーナスはふと、甘く切ない眼差しをルーナに向ける。指先で再び頬を撫でられて、ドキリとした。そこから、まるで女神さまのような優しい慈愛が流れ込んできた。

「……太陽と月がとうとう出逢ったのね……」

「え……?」

 ヴィーナスは、ロマンティックなのにどこか切ない声で呟くと、ルーナを真っ直ぐ見つめた。

 太陽と月が出会う----同じようなことをいつかどこかで聞いたことがあるような気がする。
 それがいつだったか、どこだったか、ルーナは明確には思い出せない。
 だが、その時も、今も、ルーナの心が張り裂けそうになるぐらいに甘くて切なくなる。

 ヴィーナスはフッと微笑むと、また先ほどと同じような、明るくて力強い女性の顔になった。

「月の子、ルーナ。しっかり頑張るのですよ」

「はい、ヴィーナスさん! 頑張ります」

「はい、よし、よし」

 ヴィーナスは、まるで小さな子供にするかのように、ルーナのブルネットのくせ毛をくしゃくしゃと撫でる。ルーナは優しさを沢山もらったような気がした。

「ソーレ、ちゃあんと、月の子ちゃんを護りなさいよ。それと、騎士団本部庁には定期的に顔を出しなさい。良いわね」

「……了解致しました」

 ソーレは渋々返事をすると、再び溜息を吐く。ソーレはヴィーナスがとことん苦手なようだが、どこか微笑ましく思った。

「では、また。月の子ちゃん、またね。ソーレがいじめたら、私に言って来てね。ちゃんとおしおきをするから」

「はい、ヴィーナスさん」

 ヴィーナスは手をひらひらと振ると、そのまま第一騎士団内部を視察に行ってしまった。

「素敵な方ですね。憧れます」

「俺は憧れない」

 ソーレはキッパリと言い切る。

「どうしてですか!?」

「----あんな姉はいらないだろう、男だったら」

 ソーレはかなり不機嫌な声で言うと、さっさと厩舎に向かってしまう。

 ルーナは、膝を叩くように総ての合点がいった。本当によく似た二人だ。あの姉にして、この弟ありだとしみじみ思う。それに黄金の髪や蒼い瞳など、容貌も良く似ているとルーナは思った。美しいふたりだ。

「ほら、月の子、とっとと行くぞ」

「あ、は、はいっ」

 ソーレが素早く馬に乗るものだから、ルーナも慌てて後に続く。きっとソーレは、ヴィーナスに弱いのだろう。それを考えただけで、ルーナは可笑しくてくすくすと笑った。完璧で強いソーレの弱点が、まさか姉のヴィーナスだなんて、ルーナは考えただけでもおかしかった。

 馬で先を行くソーレがむすっとしているのは、その背中を見ているだけで解る。

 馬は真っ直ぐ森を抜けて、宮殿と街を区切る大門へと向かう。ルーナは風を切って走りながら、牢獄から出るような爽快を感じずにはいられなかった。

 馬は門番のチェックを経て、シエネの街に出る。空気が一変する。
 ソーレの後ろをルーナはひたすらついていった。賑やかで活気溢れる街中に入ると、馬の足並みを緩め、ソーレとルーナは並んで走る。

「このあたりは、薬草の問屋街だ。様々な薬草が揃うから、医師やヒーラーがやってくる。この近くの街のヒーラーや医師も、わざわざ買い付けに来るぐらいだからな」

「私も覗いてみたいです」

「ああ。アーキルと一緒に行くと良い」

「そうですね。先生と、帰ってからの診療のために、色々と準備をするのに、覗きたいです」

「そうだな……」

 ソーレは澄んだ空を、切なそうに仰ぎ見る。どうして迷子のような眼差しをするのだろうか。それがルーナには解らなかった。

「ここからが、からくりや錬金術に使うものの問屋だ」

「あっ!」

 問屋街を必死になって歩く、見慣れた男を見つける。
 アーキルだ。
 アーキルは、問屋の商人に色々と訊き込んでいる。からくりに使う道具やパーツを探しているようには、とてもではないが見えなかった。訊き込みの目的は、たったひとつしか思いつかない。アーキルがこんなにも真剣になっている姿を見るのは、ルーナは初めてだった。

「ソーレさん、アーキル先生だよ!」

「ああ」

 ソーレは眉をひそめながらアーキルを見据えると、そのまま馬を巧みな捌きでアーキルの傍に着けた。

「アーキルか……」

 ソーレが声を掛けると、アーキルは万事休すとばかりに、胸で大きな深呼吸をした。その眼差しはどこか思いつめているかのようだった。
 ソーレは馬から飛び降り、ルーナもそれに続く。

「……ソーレ、ルーナ」

 アーキルは観念したとばかりに、ふたりを見つめる。アーキルが何をしていたのかは解らないが、その表情を見れば、収穫がなかったことは確かだった。

「俺たちは、第一騎士団の支部に向かうところだ」

「ルーナを仕事に同行させてるのか?」

「ああ、致し方ないだろう」

「確かにな」

 アーキルは少し疲れたような表情を浮かべると、ふたりを交互に見た。

「アーキル先生、何か調べていたのですか?」

ルーナは直球で訊く。今更、遠回しで訊くのも筋が違うように思えたのだ。

「お前らには嘘は吐けんか……。まあ、想像通りのことだ。ここでは、込み入った話は出来んからな。戻ってから言う」

 アーキルはなるべく肝心な部分をぼかして言うが、ルーナたちはそれで十分に理解することが出来た。エスメラルダのことだろう。皇女の病気にかかわることであり、白昼堂々と話すことは出来ない。

「解った。詳しく訊かせてもらおう。ところで、アーキル。お前、馬はどうした?」

「第一騎士団の支部に預けている。軍医をしていた頃の馴染みもまだいるからな」

「そうだな」

「アーキル先生は、第一騎士団の軍医だったんですか?」

「ああ。初めはな。第一騎士団に配属された」

 アーキルは頭をかきながら飄々と言う。
 第一騎士団に配属される軍医も、エリート中にエリートと聞いたことがある。その地位に着いたものは、国家でも最高峰の医師になることが約束されたのも同然だと。
 だが、アーキルは今、しがない町医者だ。
 その陰に、エスメラルダのことがあると、ルーナはぼんやりと思った。

「とりあえず、第一騎士団の支部に向かうか。馬を取り行くぞ」

 ソーレの言葉に、アーキルは眉間に深い皺を刻みながら頷いた。かなり厳しい表情をしている。どうしてこのような表情なのか、ルーナには解らなかった。

「おい、ルーナ、お前の馬に乗せろ。支部まで」

「はいわかりました」

「お前のほうが手綱使いは上手いかもしれねえが、今回は、俺が手綱を握る。良いな」

 ルーナは月の民であるから、馬の扱いは長けている。だが、アーキルは、自分で手綱を握ると強く主張した。

「解りました」

「じゃあ、乗るぞ」

 アーキルはしっかりと手綱を取ると、背筋を伸ばす。その後に、ルーナも馬に飛び乗る。

「しっかりつかまっておけよ、ルーナ」

「はい、はい」

 ルーナがアーキルにしっかりと掴まると、馬は走りだした。

 問屋街の中と言うこともあり、最初はゆっくりと馬を走らせる。だが、アーキルとソーレがお互いに目配せをした後、路地に入るなりスピードを上げる。

 急に走るスピードが上がり、ルーナは驚いて大きな瞳を更に見開かせた。
 そのまま、二頭の馬は、まるで迷路のような都会の路地裏を走り抜けてゆく。

 ソーレの金色の髪が激しく野性的に揺れ、アーキルの渋皮色の髪もまた乱れる。お尻が痛くなってしまうぐらいのスピードに、ルーナは競馬でもしているのかと思った。

 ふと後ろを振り返る。すると、何人もの男たちが、ルーナたちを追いかけてきていた。それもかなりのスピードだ。ルーナはようやく、アーキルがどうして自分で手綱を取ると言ったのかを理解することが出来た。

 この迷路のような路地裏を選んだのは逃げるのに最適で、ソーレとアーキルが熟知しているからだろう。それに、乱暴だが、アーキルの手綱捌きは大したものだった。騎士団にいたとはいえ、軍医であるのに、並みの騎士よりも巧みだ。

 馬の体勢が斜めになるぐらいに、細い角をかなりのスピードで走ってゆく。ルーナは、アーキルにがっしりと掴まることで、何とか振り落とされるに済んだ。

 かなりのスリルだが、こんなスリルは正直言っていらない。嫌な汗が背中に吹き出してしまい、気持ちが悪い。心臓も変なリズムで鼓動を刻んでいた。

「ルーナ、もうすぐ支部だ。気を抜くな」

 正直、アーキルの後ろに乗っていなければ、捕まっていたかもしれないと、ルーナは思った。
 つい全身に不用意な力を入れてしまう。強張っていると言っても良かった。
 ソーレもアーキルも、逃げることには馴れているかのように、巧みに逃げてゆく。
 最も狭い路地に入った時だった。背後から派手な馬の悲鳴と、落馬する音が聞こえる。

「振り返るな、ルーナ!」

「はいっ!」

 ソーレとアーキルは危険な速度で路地を抜け、まんまと追手から逃げることが出来た。
 その途端に、馬のスピードがかなり緩やかになる。

「もう良いぞ、ルーナ。身体から力を抜け」

「はい、アーキル先生」

 ルーナは振り返って、追手たちが倒れ込んでいるのを確認し、ようやく力を抜いた。

「このまま支部に寄って、アーキルの馬を拾ったら、宮殿に戻るぞ。色々話をしなければならないだろうからな」

 ソーレの言葉に、アーキルは神妙に頷く。

「ルーナ、気を抜くなよ。ひとりで馬に乗ったら特に」

「はい」

 ソーレは厳しい声で警告する。どのような方法で、また追手がやってくるのは、予想がつかないのだから。

 馬は、更に迷路のような路地をゆっくりと進む。
 ルーナは街のことに全く詳しくはないので、一体、あとどれぐらいで支部に着くのかが解らない。それに支部と言うのが、どのような場所なのかも、解らかなった。
 ようやく曲がりくねった路地を出る。今までは薄暗い道をずっと走っていたので、ルーナは思わず目を眇める。外は躍動感が溢れる夕陽に包まれていた。
 夕陽に染まる、白亜の建物が見えてくる。

「あの白亜の建物が、第一騎士団の支部だ。この街最大の病院でもある」

 ルーナは頷くと、夕陽に染まる建物を見つめる。一見して、病院にしか見えないこの建物が、第一騎士団支部だということを、一体、どれぐらいの人間が知っているのだろうかと、ぼんやりと考えていた。
 病院の裏にある厩舎に立ち寄り、そこでアーキルの馬を拾った。

「ソーレさん、お仕事があるんじゃないですか? だったら、私とアーキル先生だけで帰りますが」

「いいや、別の仕事が出来てしまったようだからな。俺も一緒に、宮殿に戻る。ここには俺の優秀な副官がいるから、そいつが何とか仕切ってくれるだろ?」

「だろうな」

 これには、アーキルも苦笑いを浮かべながら同意をする。
 ソーレの副官になるぐらいであるから、相当の人物なのだろうと、ルーナは思う。

「なら、安心ですね。では、宮殿までもどりましょうか」

「おう。話はその後だが……」

 アーキルは次第に表情を険しくさせる。まるで何か不穏な物が近づいているかのような表情だった。
 三人はそれぞれ馬に跨ると、宮殿へと急ぐ。ソーレ、ルーナ、アーキルの順で馬は出発し、この街までの旅路と同じ順序だった。

 ソーレが先導しながら、宮殿へと戻る。
 最初に宮殿へと向かった時は、堂々と一番賑やかな場所を走ったのに、今度は、裏道のようなところをゆく。

「最初と道が違いますよね? こちらのほうが近道なのですか・」

「まあ、近道と言えば、近道だが、一般人に迷惑をかけてはならないというか」

 ソーレが言葉を濁して呟いた後、表情が不意に厳しくなる。

「おいでなさったようだ」

 ソーレは、こちらの背筋ですら凍る低い声で呟くと、そのまま剣を抜く。同じく、ソーレも剣を抜いた。ルーナも解る。またしても追手がやってきたのだ。

 こんなにも何度も襲われると、やはり、今回の仕事は、かなり危険なのだということを、改めて感じる。だが、もう後戻りが出来ないのは、ルーナも良く解っていた。

「ルーナなるべく俺たちから離れるなよ」

 ルーナの背中にも緊張が走る。手綱を握り締める手が震え、手のひらには汗がねっとりと滲んでくる。それでも、この難局を乗り越えなければならない。だが、ソーレとアーキルが一緒であれば、ルーナは何とか乗り切ることが出来ると思った。
 ルーナを完全に護るように、ソーレとアーキルが傍に着いてくれる。
 ルーナが傷つかないように。ルーナが無駄な殺生をすることがないように。ふたりは最大限力を尽くしてくれていた。ふたりとも騎士道を貫く精神の持ち主だ。

 覆面をした男たちが三人に近づいてきた。数は数人程度とそれほどでもないようだ。だが、騎馬隊のような巧みな手綱さばきをしているので、油断ならないことは解った。

「顔を隠すなんて、やましいことをしていますと、自分で認めているのと同じだろうが」

 アーキルは余裕すらあるような声で言うと、そのまま男たちに向かって突進してゆく。

「この場合は攻撃が最大の防御だな。ルーナ、お前はひたすら俺たちのスピードについて来い。それ以外は何もしなくても良い。いいな」

「はい」

 ルーナの返事を聞くなり、ソーレは素早く男たちに斬りかかって行った。

 ソーレとアーキルは、巧みな剣術で、男たちの胴に剣を打ち込み、その衝撃で彼らは馬から次々に振り落とされてゆく。

 ソーレたちの突進のスピードに、ルーナは必死になって食らいついていった。

 暫く無心で馬を走らせた後、ルーナが後ろを振り返ると、倒れた男たちが遥か遠くに見える。
息が上がる、同時に、ようやくホッと呼吸をすることが出来た。

「もうすぐ宮殿だ。流石にここまでは追ってこられないだろう。ルーナ、力を抜いて構わない」

 アーキルの言葉で、ルーナは手綱から力を抜こうとした。だが、上手く力を抜くことが出来ない。かなりの恐怖で、手綱が手に張り付いてしまっているのだ。汗が滲んで気持ちが悪い。
激しい鼓動は、宮殿の敷地に入ってからも止まることはなかった。

back top next