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連日、ルーナはエスメラルダの部屋に行き、ヒーリングを行う。 エスメラルダの手をしっかりと握って、ルーナは何度も語りかける。 だが、初日と同じ反応ばかりで、ここ数日は進展がなかった。それでも、以前に比べると、かなり反応は良いとのことだった。 繰り返しやるしかない。 ルーナは長期戦になるかもしれないと、覚悟する。 癒しの剣が揺れる。 これを使えば、少しは良くなるだろうか----そんなことをつい考えてしまう。 だが、今は、自分の力でやらなければならない。道具に頼ることは出来ないのだ。それは、ヒーラーとして試されているのだから。 今日は予定があるのか、治療中の早々にハルマが顔を出した。 「申し訳ございません。ルーナ。姫様はこれからご予定がございますから、今日の治療はここまでにして頂けますか?」 「はい、解りました」 ルーナは静かに穏やかな表情で頷いたが、アーキルは納得いっていないようだった。明らかに不快な表情を浮かべている。 「治療よりも大切なことがあるのですか? ハルマ殿」 「ええ。治療よりも大切なお時間ですわ。姫様にとっては」 ハルマは、アーキルなど突っぱねるとばかりに、きつい表情を浮かべる。アーキルが静かなる怒りを滲ませていたのは、言うまでもなかった。 ハルマは、アーキルに向ける表情とは全く正反対の表情を、エスメラルダに向け、その手を握り締める。 「さあ、エスメラルダ様。今日は、シュタイン先生がお話に見えますからね。その後には、サクル様が見えられますよ。楽しみですね。ご準備しましょうか?」 シュタイン----その名を耳にした瞬間、アーキルの表情が明らかに変わった。 「アルベルト・シュタイン。あいつはまだ、エスメラルダ様の家庭教師を」 「ええ、そうですわ」 ハルマは、エスメラルダの家庭教師はシュタイン以外には考えられないかのように、すまして言う。 「やはり、昨日、廊下で見かけたのはアルベルトだったんだな」 アーキルがひとりごちるように言うと、ハルマは頷いた。 「シュタイン先生は、エスメラルダ様に色々と尽くして下さっていますわ。シュタイン先生だけは、諦めずに姫様の傍にいて下さいましたから」 ハルマは嫌みたっぷりな声で言う。言外に、“アーキル、あなたと違って、見捨てたりはしない”と、言っているようにすら聴こえ、ルーナ苦々しい切なさを宿した眼差しでアーキルを見つめた。 「でしょうね。今の俺の職務は、エスメラルダを元の状態にすることだけです。ルーナと共にベストを尽くすつもりでは、います」 「そうして頂くことを私も望みますわ: 「サクル様も見えられるのですか」 アーキルは、シュタインの時に見せたよりも、さらに暗く重い表情になった。 「当然ですわ。姫様の婚約者ですから。献身的にお見舞い下さいますわ」 ハルマは、エスメラルダがサクルと結婚するのが一番幸せだと思うかのように、うっとりと微笑んだ。 「そうですね。そうでした。では、失礼します」 アーキルは慇懃無礼に頭を下げると、ルーナを伴って部屋から出た。同席していたソーレも後に続く。 「アーキル先生、シュタイン先生って……」 ルーナは言い掛けて、前から人が静かにやってくるのが視界に入った。 プリズムのように輝くプラチナブロンドの艶やかな髪を、無造作に肩まで伸ばし、どこか高貴な雰囲気すら漂わせている男が、白衣を着たままこちらにやってくる。 男もまた、アーキルの姿を見つけて、怪訝そうに眼をスッと細めると、ゆっくりと歩みを止める。男は感情のない無機質な美しさが印象的な眼差しをアーキルに向けた。 「アルベルト、お前はまだ家庭教師の職を辞さずにいるんだな」 アーキルが静かすぎる冬の海のような冷たい目でシュタインに一瞥を投げる。シュタインは無視するように視線を外した。 「エスメラルダ様の役に立つことならば、どんなことであろうと厭わない。私は」 まるでエスメラルダ姫への恋心を堂々と宣言するかのように、シュタインは透明な声で固く呟いた。 「シュタイン、お前らしいな」 アーキルはフッと覚めた笑みを滲ませながら言う。 ふたりはお互いに冷たい炎のキャッチボールをしているかのように、言葉と視線を投げ合っていた。 「お前はエスメラルダ様の最も傍にいる者のひとりだろう? エスメラルダ様の病状は、客観的に見てどうなんだ?」 「今まで、多くの医師とヒーラーがエスメラルダ様の傍にやってきては、治療を断念してきたが、アーキル、とうとうお前に白羽の矢が立ったのか。お前に回ってくるということは、それだけ判断が難しいということだよ。まあ、お前のことだから、心配し過ぎて、いても立ってもいられなかったかもしれないが」 「俺は自分の仕事の結末を見極めに来ただけだ」 アーキルはあくまで仕事だと、無機質な低い声で冷たく淡々と話す。しらっとしたアーキルの態度に、シュタインはフッと失笑する。 「お前の仕事ね。私も自分のやるべきことをやるだけだ」 シュタインは、アーキルに対して静かなる炎を燃やすような瞳を、向けている。すぐ近くに、ルーナとソーレがいることなど、全く気にしていないようだった。 シュタインは優美な美しさを持った男だ。菫色の魅惑的な眼差しを見つめられると、このまま溺れてしまいそうになる。それほどまでに魅力的だ。こんな家庭教師ならばお姫様も夢中になってしまうかもしれないと、ルーナは思った。 だが、シュタインの瞳の奥に宿る光を見ると、どこか冷たくて歪んでいるようにルーナには見える。 「アルベルト、お前はエスメラルダ様にどのようなことを話し掛けている。それに、エスメラルダ様は反応するのか?」 アーキルは、医師としてのごく普通の質問をする。 「何故、そのようなことを訊く?」 シュタインはまるでアーキルに挑むように、どこか高圧的に答えた。 「担当医としては当然だろう? 生命反応がかなり薄いお姫様が、お前にはどのような反応されているのか、知っておく必要があるからな」 アーキルは、誰よりも冷たくて厳しい眼差しを、シュタインに向ける。シュタインはそれをやり過ごすように、僅かに眉を上げた。 「医師として、ね」 シュタインはどこか嫌みのように言うと、苦笑いを浮かべる。何処かアーキルを小馬鹿にしているようだった。 「まあ、医者として、お前が興味のあるような話は何もないし、出来ないよ。私は、これからエスメラルダ様の授業があるから、行かせてもらう。ああ、ちなみにエスメラルダ様は、私の話をよく聞いてくれる。以前のように詩作をされたり、童話を書かれたり、からくりを考えられたり、作ったり、なんてことは、流石にないね。今は私の話を聞いたり、からくりを見たり、物語を聞いたりぐらいだね。それだけだ」 シュタインは事務的に言うべきことだけを言うと、エスメラルダの部屋へと向かおうとした。ふと、ルーナの存在に気付き、その前で歩みを止め、菫色の瞳を向けてきた。 「君は?」 「アーキル先生の助手をしているルーナです」 シュタインの菫の瞳に真っ直ぐ見つめられると、ルーナは落ち着かなくなり、頭を下げることで、その魅惑的な視線から逃れた。 「ルーナ、月の子か」 シュタインもまた、ソーレと同じようにひとりごちる。 シュタインは菫色の瞳がルーナを捕えた。逃げられなほどに不思議な魅力を湛えた眼差しだ。 「月の子。君がエスメラルダ様のヒーラーか。まあ、しっかりと頑張って。君が、エスメラルダ様を、本当に意味で癒せるのならば……ね」 まるでエスメラルダを癒すことなど不可能だと言わんばかりに、シュタインは挑発するように呟くと、薄い唇に不敵な笑みを浮かべた。柔らかな菫色の高貴な瞳には似合わない、皮肉な光をルーナたちに向けていた。 ルーナの心の中で、重く自信のない気持ちが頭をもたげてくる。全く、シュタインの言う通りではないかと、ルーナは思う。もう数日、エスメラルダの元に通ってはいるが、症状は全くと言って良いほど改善されてはいなかった。ただ、手を握り、話しかけ、癒しの力を送るだけ。それ以上のことが出来ない自分が歯がゆくてルーナはしょうがなかった。 「そんなこと、やってみないと解らないだろうが。アルベルト」 シュタインの皮肉など斬り裂くナイフのような鋭い眼差しを、アーキルはシュタインに向ける。まるで、視線だけで人を殺してしまえるかのような勢いがあり、ルーナの仇を取るかのようだった。 それをまた、シュタインも穏やかに受け止める。 アーキルとシュタインは、お互いの手の内を解りすぎるほど、解っているのではないかと、ルーナは思った。 シュタインの魅惑的な瞳が再びルーナを捕える。また、動けなくなってしまう。 「私はこれで。月の子、また近いうちに君とは逢えるだろうからね」 シュタインは、先ほどの表情とは裏腹に、一瞬、何処か物悲しそうな表情を浮かべたあと、ハルマが招き入れる部屋へと入っていった。 「ソーレ、アルベルト・シュタイン博士は相変わらずの二面性変人なのか?」 「まあな。相変わらずのマイペースだな」 ソーレは、シュタインのことを良く知っているからか、苦笑いを浮かべた。 「そうか」 アーキルは懐かしそうでありどこか甘酸っぱい笑みを浮かべながら、宙を眺めた。 二面性変人とは言い得て妙だと、ルーナは思う。 「だけど、あのシュタイン博士の言う通りかもしれません。最初は少し進展があったかもしれませんが、あれから全く事態は動いていませんから」 ルーナは痛い事実を自分で言葉にして、余計に心にダメージを喰らってしまう。 「お前ならやれる。ここまでのヒーリングを行えたのは、今のところ月の子以外にいないのだからな。俺は出来る者に情けは掛けない主義だからな」 ソーレはキッパリと言い切り、ルーナに厳しい眼差しを向ける。ここで情けを見せないのが、ソーレだ。 「確かに、お前は出来る者に対しては厳しいからな。出来るのに努力しない、或いはやらない者には、最初から期待をかけない冷たい奴だからこそ、優しく出来るんだろうけどな」 アーキルはクールに苦笑いを浮かべながら、友人であるソーレに視線を投げた。それは逆に、まだまだ頑張れとルーナに言っているようにも聴こえた。 「とにかくアルベルトのことは気にするな。あいつは究極に変わりものだと、俺は思っているからな。とにかく気にするな」 励ましているのかそうでないのか、いい加減なところがアーキルらしくて、ルーナはほんの少しだけ心が軽くなるのを感じた。ほんのりと笑みさえ浮かべることが出来る。 「そうだな。アーキルに言うとおりだ。エスメラルダ様の現在の主治医はアーキル、ヒーラーはお前だというのは変わりない。そもそもあいつに口出す権利はない」 ソーレはキッパリと言い切ると、ルーナを冷たい目で見た。 今はまだ逃げてはいならないし、逃げられないのだ。ルーナはそう自覚すると、後ろ向きの気持ちを振り払うように、ソーレとアーキルに笑顔を向けた。 「シュタイン博士ってどのような方なのですか?」 「ああ、シュタインは、錬金術師であり、科学者だ。様々な分野に精通していて、エスメラルダ様の教師をずっと勤めていた」 ソーレは、経歴を棒読みする司会者のように言った。 「まあ、ろくでもねえもんしか作らない、ポンコツ発明家でもあるけれどな」 アーキルは茶化すように言った後、わざと大きな欠伸をして、伸びをする。 「さあ、ルーナ、今日の俺たちの仕事はこれまでだ。お疲れさん。俺は外で気持ちよく、寝るわ。ソーレ、ルーナを頼んだぞ!」 アーキルはルーナの背中を叩くと、そのままフラフラと部屋とは違う方向へと行ってしまう。本当に昼寝などするのか疑わしかった。 ソーレとふたりで取り残されてしまい、どうして良いのかがルーナには解らなかった。。 「頼むと言われても、俺も仕事に戻らないといけないんだけれどな」 ソーレは困ったように苦笑いを浮かべる。ソーレもやらなければならないことが沢山あるのだろう。第一騎士団長なのだから、それは当然だ。騎士団長であるにもかかわらず、今までずっと付き合ってくれているのは感謝していた。 「私ならひとりで大丈夫ですよ。ソーレさんはお仕事に戻って下さい」 「しかし、な」 ソーレは益々困ったような表情になる。弱ったと言っても良いような表情だった。 「流石に街には出られないかもしれないですけれど、宮殿の中なら、探検出来そうですし、森には良い薬草がありそいですから、そのあたりを歩けたらと思っています。この敷地を出るわけではないから、ひとりで充分です」 「しかし、おばば様との約束があるからな。お前を護る条件で、許可を貰って連れて来ているからな」 本当に困り果てたとばかりに、ソーレは長めの前髪をかき分けた。 「宮殿の中では安全が確保されているんですよね?」 「そうなんだが、お前の場合は……」 口ごもったあと、ソーレは益々険しい表情を浮かべた。きっと、おばばとの約束を固く護りたいと思っているのだろう。明るい柔軟なところはあるが、やはり騎士団長になるぐらいだからか、保守的な部分もしっかりと持っているのだろうと、ルーナは思った。 「おばば様との約束を気にしているなら、大丈夫ですよ。だってこれぐらいなら、約束を破っていることにはならないでしょうし」 「しかしな、相手はあのおばば様だぞ!? 皇帝陛下の信頼すら厚い。これは約束を破らないわけにはいかないだろうが」 ソーレは益々苦々しい表情を浮かべる。 「律儀ですね、ソーレさんは」 「いや、律儀だとかは関係ないのだが」 ソーレは気持ちが煮え切らないかのようになかなか決断が出来ず、本当に困っているようだった。 「私はもう仕事が終わりましたから、ソーレさんは職務に戻ってください。そちらも疎かには出来ないでしょうから」 ルーナは、おばばとの約束を必死に守ろうとするソーレを、どこか気の毒に思う。 「そうか、お前を第一騎士団の本部に連れていけば良いのか」 ソーレは妙案を思い付いたとばかりに、明るい笑顔になった。 「月の子、今から第一騎士団の本部に行くぞ、これなら問題はないだろうし、街の見回りも出来るからな」 ソーレは何もかも解決したとばかりに笑顔になると、そのまま歩き出した。 「ちょっと、ソーレさん待って下さい!」 ルーナは、足のストライドの大きいソーレに追いつくために、駈け足になる。 「どうした、月の子」 「あ、あの、私、まだ、行くと、返事をしていませんが」 「とにかく、俺に着いて来い、月の子。悪いようにはしない」 「はあ、それは解っていますが」 「じゃあ着いて来い。お前も色々と勉強になるだろうからな」 ソーレは問答無用とばかりに、先を急ぐ。ルーナは溜息を吐きながら、ソーレに早足で着いてゆくしかなかった。 「あの、第一騎士団はどこにあるのですか?」 「騎士団の本部は宮殿の敷地内にある。だが、多くの騎士団員が詰めるのは、シエネの出張所だ。本部に顔を出した後、そちらに向かわなければならないから、着いて来い。街に出たら、お前も気分転換になるだろう」 「はい、有難うございます」 |