アスール・ルーノ


「診察させて貰っても良いですか?」

「どうぞ」

 アーキルは皇族相手と言うこともあり、言葉遣いを慎重にしている。
 いつもの気さくな医師の顔とは違い、とても丁寧だった。
 だが、どこか、よそよそしく、近寄りがたい雰囲気も感じられる。
 ルーナは落ちつかなかった。

「ルーナ、診察の準備だ」

「はい」

 アーキルの表情が、重症患者を目にした時よりも厳しいことをルーナは悟る。
 アーキルは、エスメラルダがかなりの重症なのだろうと感じているのだろう。
 アーキルに言われたとおりに、ルーナは素早く診察の準備をする。
 準備をしていると純銀の細工で出来た剣が揺れた。しゃんしゃんと良い音が、まるで鈴の音のように鳴り響く。剣からこのような音が鳴るのは、とても珍しいことなのだ。
 それをハルマは良く思っていないらしく、いかがわしいものを見るかのように、目をスッと神経質に細めた。

「月の子、その剣は外しなさい。この部屋は皇族のお部屋です。不敬罪となりますよ」

「し、失礼しました」

 いつもなら、剣など差さずに診療をするのだが、すっかり外すのを忘れていた。それぐらいに、剣はルーナにしっくりきていた。
 しっくりきていても、外さなかったことは、ヒーラーにとっては失態だ。
 ルーナはハルマに素早く一例した後、慌てて剣を外そうとすると、ソーレはそれを制止した。

「剣は外すな」

 ソーレの意外過ぎる言葉に、ルーナは思わずその顔を見やる。ソーレはもう一度念を押すかのように、首を横に振った。
 その眼差しは真摯で揺るぎがない。

「ハルマ殿、月の子であるルーナが携帯している剣ですが、これは決して人を傷つけることが出来ない剣です。この剣は人を癒すことが出来ても、斬ることは出来ません。ですから、安心して頂いて構いません。それに、これはヒーラーとして大切なものです。携帯させてやって下さい」

 ソーレは淡々と、言うべきことを低く固苦しい声で言う。騎士団団長らしい態度と、礼節を重んじる話し方だった。

「解りました。しょうがありませんね。第一騎士団長であるあなたが仰るのなら間違いはないでしょう。月の子、それを携帯したままで構いません」

 ハルマは恭しく頷く。ルーナは一礼だけをすると、診察の準備に注力した。

 準備がすむと、アーキルは、医師として丁寧、かつ、正確に、エスメラルダの診察を開始する。
 診察の間、アーキルの表情は、終始、厳しかった。
 いつもなら、患者の前では、どこか抜けているのに、安心させるような笑顔で診察をしているというのに、今日に限っては、見ているこちらが不安になるぐらいに、冷たくて固い顔だ。
 そこから、病状の厳しさがあからさまに滲んでいた。
 これならば、誰もが自分の病状に気付いてしまうのではないだろうか。

 だが、エスメラルダは、相変わらず、心がここにないとばかりに、宙ばかりを見つめている。薄く微笑んだりはするが、自分が診察を受けているという自覚すらないように見えた。

 アーキルとも旧知の仲だろう。
 だが、アーキルなど知らないような態度で、全く、視界に入っていない様子だった。というよりは、アーキルの存在すら、認めず、気付いていないようだった。

 アーキルは様々な方法で、エスメラルダを診察する。しかし、手ごたえを全く感じられないのか、何度も首を捻った。
 こんなことをアーキルがするのを見たことがなくて、ルーナは、眼を見開いてしまう。

「ルーナ、皇女様の手を握って、お前なりの診断をしてみてくれ」

 アーキルの診断は、いつも的確だ。
 少なくとも、ルーナがアーキルの下で働き始めてからも、間違いはなかった。
 なのに、あのアーキルが明らかに判断に迷っているようだ。
 ルーナは緊張の余り喉を鳴らしながら、エスメラルダにゆっくりと近づいた。
 妙な緊張が走る。

「失礼いたします」

 ルーナがエスメラルダに声を掛けたものの、全く反応をしなかった。
 これほどまでに、医師の行動に対して無反応な患者が果たしていただろうかと、ルーナは思わずにはいられなかった。
 ルーナは、エスメラルダの前に跪くと、その華奢で白い手を取る。
 その瞬間、ルーナは皺になってしまうぐらいに眉をひそめた。

 アーキルが判断出来ない理由が、ルーナは直ぐに理解する。
 いくら体温が低いと言っても、手を取れば生きていることはちゃんと感じられるものだ。
 ヒーラーはそこから様々なこと読み取って行くのだが、エスメラルダからは全くといって良いほどに、生体反応を感じることが出来なかった。
 これは面妖なことだ。


 ルーナは思わずアーキルを見た。ルーナも同じように感じているとアーキルも感じ取ってくれ、頷いてくれた。
「生体反応が感じられません。癒しの力を送るのに生体反応が必要ですが、感じられません。だけど、エスメラルダ姫は生きていらっしゃる……」

 ルーナは泣きそうな重い気持ちになりながら言うと、エスメラルダの腕をさすった。さすっている間に、温かな癒しの力を送る。
 これで少しは温かくなるだろうか。
 だが、いくら試しても温かくはならならなかった。

 ルーナにとっても、今までこのような経験をしたことはなく、驚く以外にはなかった。同時に、胸の奥が苦しいほどの哀しみと絶望を感じてしまう。
 ルーナはそれでも諦めたくはなくて、何度もエスメラルダの腕をさする。

「お姫様、ご機嫌はいかがですか? 私は月の民のルーナと言います。蒼い月の日に生まれたので、ルーナです。まだ、半人前ですが、ヒーラーをしています。アーキル先生に、医療について色々と教えて貰っているんです」

 エスメラルダに反応がなくても、ルーナは、自分のことを語って聞かせる。ヒーラーとして、少しでも良いから反応を掴みたかった。ルーナは根気良く、優しい声でエスメラルダに伝える。

 すると、エスメラルダの瞳がほんの僅か輝いた。
 ルーナは一縷の光を捕まえたような気持ちになり、ホッと笑顔を洩らす。僅かでも反応が見られたことが、ルーナには嬉しくてしょうがなかった。

 これには、部屋にいる誰もが驚いた。

「初めて反応されたわ」

 ずっと傍に控えているハルマは、明らかに驚いたようで、ルーナをじっと見つめている。
 先ほどまでは、ルーナのことを忌々しい頼りにならない小娘ぐらいに思っていたようだったが、今は明らかにヒーラーとして見てくれている。

「色々と、お話をしましょうか? お姫さま。私、お姫様と色々とお話をしてみたいです」

 ルーナが語りかければ、語りかけるほど、僅かではあるが、エスメラルダは瞳に柔らかな光を宿す。
 同時に、ルーナの麗しい銀細工で出来た剣が、澄んだ波立つ光を発する。剣が発する光が、エスメラルに放たれる度に、僅かであるが反応を示してくれた。
 
 エスメラルダが生きていることは確かだ。
 間違いはない。
 だが、自発的な生命力かと問われれば、そうでないと感じた。厳密には、生きているのとも、死んでいるのとも違うような気がする。そこが、ルーナにも全く解らなかった。

 エスメラルダの僅かな反応に、部屋にいる者が誰もが表情を明るくさせる。
 だが、それ以降、ルーナがいくら頑張ってもそれ以上の反応は難しかった。
 ルーナは落胆の息を呑みこむ。だが決して吐き出さなかった。吐けば、諦めているお思われるような気がしたからだ。

 しかし、これでも大きな第一歩を踏み出したと、そこにいる誰もが感じずにはいられないようだった。
 エスメラルダの病状が、少しではあるが好転していると、誰もが考えているようだ。
 だが、これ以上、いくらヒーリングを行っても進展は見られそうになかった。
 それに気付いたハルマが声をかけてくる。

「今日のところはここまでで。余り長居をすると、姫様もお疲れになりますから、少しでも治療が進んだことは喜ばしいことです」

 ハルマは先ほどよりも幾分か表情を柔らかくしながら、ルーナたちを見つめる。ルーナたちの力を初めて認めたようだった。

「では、また、明日、お願いします。アーキル医師、今日の診察結果を、また、詳しく分析して、お知らせくださいませ」

「解った」

 アーキルはぶっきらぼうに言うと頭を下げる。だがその眼差しは、いつまでもエスメラルダに向いていた。
 アーキルの瞳は先ほどよりも幾分か優しい。しかし、まだまだ深刻さと切なさを滲ましているのは変わりなかった。

「姫様、また明日、お伺いいたします。失礼いたします」

 挨拶をした後、ルーナたち三人は、エスメラルダの部屋を後にする。
 息が詰まるような緊張からは、とりあえずは解放されたような気がして、ルーナの身体から力が抜ける。
「先生、長期戦になるかもしれませんね」

「ああ」

 アーキルは考え事をしているようで、半分気持ちは上の空のようだ。深刻な考え事をしていることは、ルーナにも直ぐに解った。

 一瞬、アーキルの眼差しが鋭く動き、息を呑む。

「どうした、アーキル」

 ソーレがアーキルを鋭い眼差しでとらえる。

「……いや。一瞬、知り合いがいたかと……」

 アーキナルはそれだけ言って黙り込んだ。

「とりあえず、お前たちに使って貰う部屋に案内する。俺の仮眠場所も、お前たちと同じところに用意をして貰った。案内する。とにかく、話はそれからだ」

 ソーレの言葉に、ルーナは頷く。立ち話で出来るような話でもないからだ。患者は皇女様なのだからしかたがない。
 アーキルは相変わらず、考え込んでいるようだった。
 あのような患者を診せられたら、医師なら誰でもあのような反応をするだろう。
 今までエスメラルダを診察した医師やヒーラーが、どのような反応をしたのか、ルーナはすぐに理解することが出来た
 。困惑して、治療方針が立てられないのは当然だと思った。
 
 ルーナも不安になる。自分に出来るだろうかと。

 今日は、何とか、エスメラルダを反応させられたが、これ以上のことが出来るとは、到底思えない。
 今日の反応は、ルーナが精いっぱいの力をかけて、起こした、いわば、“奇跡”のようなものだ。

 暗い気持ちになりながら、ルーナは鞄を抱えて、薄明かりが差しこむ宮殿の回廊を進む。
 誰も何も言わない。だから余計に、不安になった。

 暫く宮殿の中を歩く。全く、宮殿という場所は、想像以上に大きい。

 不意に、回廊が厳かな光に包まれる。
 同時に、麗しく輝く漆黒の髪をした男とその取り巻きがゆっくりと歩いてきた。
 漆黒の髪を持つ男は触れると死んでしまうのではないかと思うほどに冷たい雰囲気を纏わらせいる、魂が震えあがるほどの美しい男だった。

「皇族のサクル殿だ。黙礼を」

 ソーレの低い畏まった声に、ルーナたちは従うしかなく、サクルが通り過ぎるまで黙礼する。
 一瞬、冷たい風がルーナの頬を撫でつける。
 サクルが立ち止まり、一瞬、ルーナを見たのは感じ取れた。

「月の子、か」

 サクルは夜の底のような声で呟くと、取り巻き一緒に行ってしまった。

 サクル一行が行った後、アーキルは大きな溜息を吐いた。

「相変わらずだな、取り巻きを連れて」

 アーキルの声には明らかな嫌悪感が滲んでいる。アーキルが声に嫌悪を出ことは、とても珍しい。よほどのことがあったのだろうかと、ルーナは思わずにはいられなかった。

「部屋に向かおう」

 ソーレは、ルーナたちをさらに奥にへと誘う。

 ルーナたちが案内された部屋は、大臣たちや、騎士団長クラスでないと使えない部屋だった。警備もしっかりした場所だ。
 豪奢な家具などが揃い、ベッドはふかふかで気持ちよさそうだ。
 昨日の寝床とは全く違う。
 それどころか、ルーナがいつも使う部屋とも正反対なぐらいの作りだ。そのせいか、部屋に入るのも気後れしてしまいそうだった。

「随分立派な部屋だな、ソーレ」

 部屋を見るなり、アーキルは苦笑いを浮かべながら、ソーレを見た。

 診察が終わったこともあり、アーキルはいつもの冷静さを取り戻しつつあるようだった。これには、ルーナもホッとする。きっと、エスメラルダの部屋から出て緊張が解れたのだろう。

「ああ。エスメラルダ様を治療することが出来る、医師とヒーラーをもてなすのだからな」

 ソーレの言葉にルーナは胸がチクリと痛くて何も返すことが出来ない。
 何とか出来ないかもしれない----そんなどす黒い不安のほうがずっと大きかった。

「とりあえず、座るか。色々と話さなければならないことはあるようだからな」

 ソーレの言葉に、頷いたアーキルの表情は引き締まったものになる。
 ルーナもまた深刻な表情を浮かべ、追い込まれた気分で頷いた。

 猫足の立派な椅子に腰を掛けたが、ルーナはなんだか落ち着かない。
 いつもの木の椅子がしっくりくる。やはり馴れていない物は、心地が悪い。

「月の子。やはり、お前は見込み通りだな」

 ソーレは怜悧さを滲ませた眼差しをルーナに向け、声に深みを持たせるように呟いた。

「私は何もしていないです。もう、ああするしかないと思っていましたし。それに、明らかに、お姫様からは生体反応が感じられませんでしたから……」

 ルーナは落ち込む気持ちを何とか振り払って、冷静になるように言葉を選んで言う。
 ルーナの言葉を受けて、アーキルは更に厳しい眼差しになり、ソーレは深刻な顔になる。ふたりとも、頭を抱えるような仕草をした。

 生体反応がない。
 それは生きていないと言っているようなものだからだ。

「やっぱりお前もそう感じたのか。お前がエスメラルダ……様の腕をさすりだしたときに、いくらヒーラーでも、死者に対することしか出来ないと判断したのだと思った。俺も生体反応を感じなかった」

 そこまで言ったところで言葉を切ると、アーキルは珍しく眉間に皺を寄せ、苦しい感情を全身から発する。その苦悩ぶりに、ルーナ自身も感情を共鳴させた。
 魂が震えるほどアーキルは心に傷を負っているのだ。
 切ないのだ。
 それが伝わってきて、ルーナはますます暗い気持ちになってしまった。

「……エスメラルダ自体……、生きていることがおかしいんだから……!」

 アーキナルはずっと魂の奥に抱えていた苦しくて辛い感情を静かに爆発させるかのように、重々しく呟く。
 苦い声が、アーキルの苦しみを総て表していた。

 生きていること自体がおかしい----その言葉の意味が、ルーナには解らない。

「……アーキル……」

 総てを知っているのか、ソーレもまた眉間に苦悩を刻みながら目を閉じる。
 感情を振り切るように、ソーレは深呼吸をすると、ゆっくりと目を開け、アーキルを見る。
 その眼差しには、最早、迷いなどはひとかけらもなかった。

「確かにお前は一度、エスメラルダ様の死を診断した、だが、姫様は生きている。本当に、エスメラルダ様が生きているのかを確かめさせる医師はお前しかいないと、ここに呼んだ」

 ソーレはどこか突き放したかのように冷静に呟くと、アーキルとルーナを見た。
 一体どういうことなのだろうかと、ルーナは小首をかしげる。何も考えが思いつかなかった。

「----アーキル、お前はもう気付いているだろう? エスメラルダ様の死の可能性がどれほどのものかを。エスメラルダ様の身体に蝕まれた病巣は、お前の手ですら取り除けなかった。ましてや、あれだけの深手の傷も負ったんだ。おばば様ですら、ヒーリングが出来なかった。お前とおばば様が一度死を宣言しているにもかかわらず、エスメラルダ様は生きている。影武者でないことも解っているし、ご本人であることは確かだ。なのに、エスメラルダ様は生きている……。これは何かあると判断せざるをえないだろう?」

 ソーレの軍人としての鋭い洞察力が声と眼差しに現れる。

「----そうだな」

 アーキルは眼を伏せながら呟く。

「アーキル、お前は再度診察をしてみて、エスメラルダ様のことをどう思った?」

 ソーレはあえて遠回しではなく、ストレートに訊いてくる。曖昧にしてもしょうがないと考えたのだろう。

「エスメラルダは死んだ。それだけだ。今いるのは、エスメラルダであって、エスメラルダでない。それだけだ」

 アーキルはそれだけを言うと立ち上がると、窓辺に立ち、腕を組んだまま外を見ている。宙を見上げるアーキルの眼差しは、愁いがあり、苦しい。これ以上は何も話す必要はないと思っているのか、沈黙していた。

 「そうか……。なあ、月の子、お前が、エスメラルダ様は本当に生きていると感じるか?」

 ソーレは無駄なく質問をしてくる。

「生きていないと言われれば、違うと言いきれます。だけど、生きていると言われても違和感があるんです。不思議な感じなんです。ただ、自らの本来の生命力で生きていないような、そんな気がします……。ごめんなさい、上手く言葉に出来ないですが」

 ルーナは自分が感じたことを上手く表現出来ているかどうかは、正直自信はなかったが、それでも伝えなければならないことを、伝えたつもりでいた。

 アーキルとソーレの表情が明らかに変わる。
 愕然としているようだった。


「生きているのに、生きていない。生きていないのに、生きている……。そんな感じか?」

 ソーレはルーナの言葉を咀嚼しながら、考え込むように言う。

「まさに、そんな感じです。お姫様の自らの意志とは関係なく生かされているのではないかと。何か理由があるのかもしれない……。お姫様は亡くなっているとも生きているとも、現時点では判断しようがありません。こんなことは初めてなんですが……」

 ルーナは、答えを請うようにアーキルを見つめた。
 アーキルはしばらく考え込むように、目を閉じていた。

「確かに。エスメラルダ自体は、あのようになってまで生きたいと思う性格ではない。だが、何か理由があるとするならば……。あのような状態で自分を残しておく必要があって、ああいう状態になったのかもしれない……」

 もし何かを伝えたいとエスメラルダが思っているとするならば、それはアーキルにではないかと、ルーナは思う。

「自分が本当は生きていないことを、見つけてくれる誰かを探しているとかは、ないか?」

 ソーレの言葉も一理ある。ひょっとすると、それを確認して貰ったら、ゆっくりと眠りたいとすら思っているのかもしれない。

「無理やり生かされていることを、誰かに知って貰いたい。そしてそのひとに、解決を委ねたい……。そんな気持ちがあるかもしれません」

 ルーナは手を握ったときに感じた朧気な切なさを言葉にする。

「ルーナ、お前はヒーリングをしている間に、ひとの想いが分かるのか?」

「分かるというよりも、心の奥底にある本当に強く望んでいることを、何となく感じるんです。だけど、朧気なので、明確には解らないことが多いんです」

 ルーナは思わず苦笑いを浮かべた。だが、ソーレはそれでも構わないとばかりに、しっかりと頷いた。

「エスメラルダ様が、どうしてこのような状態になられたのか、その背景を調べる必要がありそうだな。医学的に死んだ者が生きている……、そんなことが、何故、起こったのかを、きちんと調べて、裏付けを取る必要がある」

 ソーレは騎士団長らしい厳しい眼差しを床に向け、考え込むように手を組む。

「そうだな。何か、からくりがあるだろうな。それは俺も解る」

 アーキルも頷きながら、同じように床だけを真っ直ぐ見た。

「明日からも根気よく治療をして、様子を探ってゆくしかないな」

 アーキルの言葉に、ルーナは暗くなる。
 今までヒーリングをしてきて、これほどまでに反応がないことはなかったのだ。だから不安になる。
 並の力しかない自分ではこれ以上、ヒーリングは出来ないのではないかと、弱気な気持ちを抱いた。

「……私、これ以上は、お姫様を癒す自信がありません」

 ルーナは言葉にしたのを後悔してしまうぐらいに、重い気持ちを抱いてしまう。

「いや、お前以上に癒すことが出来るヒーラーはいない。これは確信した」

 ソーレはルーナにヒーリングを止めさせないとばかりに、冷徹な声でキッパリと言い放つ。視線も剣よりも恐ろしい。

「俺もそう思うが」

 アーキルも静かに同意をし、ルーナを見た。

 ふたりの優秀な男にきっぱりと言われた以上、もうこの状況から逃げられないのだろうか。
 腹を括るしかないのだろうか。それにしては重いとルーナは思った。
 やらなければならないのは解るが、ルーナはなかなか心に決着をつけることが出来なかった。

「とにかく、エスメラルダ様がどうしてこのような状態になったのか、早速調べてみる、席を外すぞ」

 ソーレが立ちあがると、ルーナも一緒に立ち上がる。剣がシャラリと音を立てた。

 ユーグは眩しそうに、ルーナの剣に視線を注ぐ。

「その剣を大切にしろよ、人は斬れないが、きっとお前を助けることになる」

「私の剣がひとを斬れないというのはどういうことですか?」

 ソーレは一瞬、驚いたように目を開いたが、直ぐに目を細めた。

「知らなかったのか……。癒しの剣だとは昨日伝えたな。お前なら、ひとが斬れない剣を持っていても、支障はないだろう。確かにその剣ではひとは斬れない。癒しの剣だからな。この剣の癒しぶりは、もう目の当たりしたから、お前にも良く解ってるだろう? 死んでしまうほどの深手を負ったものが、癒されるのだからな。ひとを癒すことは出来ても、命を奪うことは出来ない。つまり、俺の剣とは正反対ということだ。俺の剣は、ひとを傷付けるためにある。攻撃は最大の防御であることを地でいく剣だ。攻撃は最大の防御と言う意味で言えば、生臭医師のアーキルの剣も同じだがな」

「私の剣はひとを癒すことしか出来ない……」

 ソーレの言葉を、ルーナは反芻する。魂の底から喜びが湧き出て、思わず笑顔になった。

「人が斬れない癒しの剣。傷つけることなく、癒すだけ。そんな剣を持つことが出来て、とても嬉しいです」

 ひとの力になれる。
 ヒーラーとして、これ以上の喜びはない。
 しかも、ルーナの母の形見なのだ。母もまたひとを斬ることがなかったと思うと、それが嬉しかった。
 ルーナは剣をしっかりと握り締めると、幸せの笑みを溢す。

「お前らしいな、ルーナ」

 アーキルはフッと柔らかな笑みを浮かべた。
 ソーレもまた、優しい笑みになる。だが、それは一瞬で、直ぐに冷たい厳しさを宿す。

「そうだな、お前らしい。だが、攻撃から、自分の身を護ることは出来ないぞ。だから、気をつけることだ。お前は、皇室の姫のヒーラーをしている以上、狙われる可能性が高い」

 ソーレに当然のことを指摘されて、ルーナは目を見開く。
 だが、攻撃によって、ひとを傷付けるよりはずっと良い。それはルーナの持論だ。

「ひとを傷付けるよりはよほど良いです」

「そうか、そうだな。お前らしい」

 ソーレはフッと柔らかに微笑むと、自らの剣の柄を握りしめた。

「その想いがお前を護っていくのだろうな」

 ソーレはルーナをまっすぐ見る。その眼差しは、どこか遠くを見ているようだった。

「お前の剣は持ち主を選ぶ剣だ。誰でも持てるものではない、剣を鞘から抜くことが出来るのは、お前だけだ。お前しか使えない剣だ」

「私にしか使えない。おばば様もそのようなことを言っていました」

「その証拠を見せてやる。お前の剣を貸せ」

 ルーナは言われた通りに、ソーレに剣を渡す。
 ソーレは、ルーナの目の前で、鞘から剣を抜こうとしたが、全く抜けなかった。

 剣の技量が素晴らしいソーレすらも、ルーナの剣を抜けないことに、ルーナは驚く。
 だが同時に、自分しか使うことが出来ない剣を、愛しく思う。

「ほらな。だから悪用されたりすることはないだろう。お前が手放しても、必ず戻ってくるだろうな。そんな宿命の剣だ。だから、大事にしろ」

「はい」

 母に繋がる唯一のものである、この銀の剣が愛しくてしょうがなかった。
 この剣にも力を貰い、エスメラルダを癒し、元の姿に戻せるように。
 それが、ルーナにとって、今の願いだ。

「今日はもう疲れただろう。明日からも大変だからな。ゆっくりと休め」

「有り難うございます、ソーレさん。アーキル先生、今日はゆっくりしましょう」

「そうだな……」

 アーキルはフッと何処か疲れたように笑うと、頷いた。

「では俺は、騎士団に戻って仕事をしてくる。何かあったら呼んでくれ。仮眠部屋の並びは、アーキル、ルーナ、俺の順で、横並びになっているから。騎士団での仕事が終わったら、こちらに戻ってくるから」

「有難うございます、ソーレさん」

「ああ、じゃあ、ふたりともゆっくりな」

 ソーレは軽く挨拶をすると、一旦、部屋から出て、騎士団本部に行ってしまった。

「ルーナ、俺たちも休もう、明日からしっかりと頑張らなければならないからな」

「はい」

 アーキルも自室に向かい、ルーナはひとりになり、大きな溜息を吐いた。
 これからどうなるのかは読めない。だが、自分なりに全力を尽くしていこうと思う。

「お母さん、見守っていてね」

 ルーナは、剣に語りかけると、ぎゅっと抱きしめる。
 こうしていると、母親に護られているような安心感があった。

 本当に色々とあった一日だった。ルーナは食事のあと、泥ように深く眠った。

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