アスール・ルーノ

12


 ソーレは、すぐに、姉のいる軍の総括本部へと足を運ぶ。
 ここに行けば、大概の事が解るからだ。
 姉のヴィーナスは、帝国の様々な情報に精通しており、ソーレの願う情報のありとあらゆるものを、教えてくれるのだ。

「アポロ将軍、ソーレです」

「ソーレ、入って!」

 立派すぎるくらいの彫刻が施されたドアをくぐり、ソーレは司令官室へと入った。

「まあ、あなたが訪ねてくるのは珍しいわね。どうせ、欲しい情報でもあるんでしょ?」

 ヴィーナスはストレートに言うと、実の弟であるソーレと同じ色の瞳を、見透かすように向けてくる。
 その瞳は厳しく、ソーレの心を抉るような激しさを持っていた。
 誰よりも敵に回してはならない。
 そのことは、ソーレは誰よりも自分が解っていると思った。

「流石はアポロ将軍、話が早い」

「で、どのような、情報なの? ソーレ」

 ヴィーナスは凛とした態度で、率直に訊いてくる。

「アーキルと、おばば様がエスメラルダ様の死亡を確認した後から、生きていることが確認するまでの間で、エスメラルダ様の身体が行方不明にならなかったか、調べて欲しいんだ」

 ソーレの話を聞きながら、ヴィーナスは眉根を寄せ、表情を強張らせた。

「面妖なことを言うのね……」

 ヴィーナスは眉根を寄せ、ソーレから視線を逸らさない。頬づえをつき、考え込むような仕草をした。

「----解ったわ、直ぐ調べるわ」

「頼んだ。姉さんにしか頼めないことだから」

「確かに用件が用件なだけに、私以外は頼めないわね。アーキルから頼まれたことよね?」
 
 ヴィーナスは苦笑いを浮かべ、姉らしい優しい眼差しでソーレを見直した。

「ああ」

「そう。あいつ、余り私の所に顔を見せないのよねえ。昔、散々、稲妻ラリアットをかましたかしら? また練習したいから、顔を出してと伝えておいて」

 ヴィーナスの不敵な笑みに、ソーレは苦笑いを浮かべる。
 アーキルは絶対に顔を出さないと、表情をひきつらせて言う姿が、ソーレは安易に想像することが出来た。

「まあ。伝えておく」

「ええ。しっかり伝えておいてね。今からすぐに調べるわ。恐らくすぐに解ると思うから」

「恩に着る」

「そうよ、たっぷり恩を売っておくわよ。あなたにも、もちろんアーキルにもね」

 ヴィーナスはいつも厳しいことを言ったりするが、結局はソーレのために動いてくれることが多い。
 これには本当に感謝していた。
 ヴィーナスはフッと笑みを浮かべた後、将軍らしい厳しい表情を浮かべる。まるでソーレを値踏みするかのような視線を向けてきた。

「ソーレ、月の子の様子はどうなの?」

「ああ。アーキルをよく助けているとは思う。エスメラルダ様の件も、月の子がいるから、真相に辿り着きつつある」

 ルーナのことになると、ソーレも鋭いナイフのような表情を浮かべてしまう。
 ルーナの覚醒は帝国として望まれていることだ。
 だが、それはルーナの自由な人生を壊してしまうことになるのが、ソーレには重かった。
 出逢う前なら、そこまで考えなかった。
 だが、出逢ったしまった。
 出逢った以上、ルーナを冷静には見られなくなっている。

「そう。能力が、目覚めつつあるということ?」

「ああ。まだ、発展途上ではあるが、能力はかなり高まっているのは確かだ。だが、あいつの心の成長が追いつかなくなる恐れもあるかもしれない。今回のエスメラルダ様の件でも、かなりの能力を発揮している。エスメラルダ様の身体が消えた、消えないの、件も、恐らくは、月の子のヒーリングで、アーキルが気付いたものでしょうから」

「そう……」

 ヴィーナスは頷くと、切なそうに眼を伏せる。どこか、哀しげな眼差しになった。
 ヴィーナスは、軍を統括している者ではなく、ひとりの女性として静かに溜息を吐く。
 その深意味が、ソーレには解ったような、解ったような、複雑な気分になった。

「ソーレ、あなたの任務は、月の子を護ることよ。引き続き、しっかり守って頂戴。あの子は、いずれこの帝国ではなくてはならない存在になるのだから」

「解っています」

 ソーレは神妙な表情で頷きながらも、表情を冷たく陰らせる。

「月の子は、素直で無邪気で、可愛らしいわね。あの子を見ていると、それだけで癒されるわ。だから、アーキルもきっと、あそこまで立ち直ったんでしょうけれど」

 ヴィーナスはまるで母親のように愛しげに眼を細めながら、寂しい笑みを浮かべる。その笑みは、温かさと物悲しさが同居したような眼差しだった。

「確かに、素直で、前向きで、良い子だと思う。今どき、あれほどまでに純粋で素直な女の子は今どき珍しい。おばば様がきちんと育てたからだろうと、俺は思う」

「あの子のことをかっているのね。あの子は、癒しの力がなくても人を癒せるわ。あなたも、癒されているのかしら? ソーレ」

 ヴィーナスは柔らかく首を傾げながら、姉として優しい眼差しでソーレを見つめてくる。だが、ソーレは、その眼差しを拒絶するかのように、目を伏せた。
 本当に、癒しなど何も受け入れたくなかった。
 ルーナの嫌異sの力は、いずれ危険になることは解っている。
 ルーナには恋をしない。
 そう決めたのだ。

「気立てのよい素直な子供だとは思っているが、それ以上でも以下でもない」

「頑なね。あなたはあの子に恋してしまいそうなそんな気がしていたけれど……」

 ヴィーナスは軽く溜息を吐きながら、瞳を陰らせる。切ない光が愁いのある眼差しに換えていた。

「----俺は“月の子”に恋はしない。絶対に。これは誓える」

 ソーレはキッパリと言い切ると、ヴィーナスをきっぱりと見据えた。ヴィーナスはそれを受け入れるように頷く。

「そうね。それなら安心したわ。これは、あくまであなたの上司として」

 安心したと言いながらも、ヴィーナスはホッとしたような表情ではなく、むしろ、どこか優しくて哀しい表情を浮かべていた。

「では、俺はこれで。今の件をお願いします」

「解ったわ。ソーレ、ちゃんと報告書を上げてきなさいよ。最近、さぼりがちよ。まあ、アーキルや月の子と一緒にいるのが楽しいというのは解るんだけれど」

 ヴィーナスは総てをお見通しとばかりに、フッと微笑んだ。それがソーレには気に喰わない。

「解りました。ちゃんと報告書は上げます」

 ソーレは、最近、エスメラルダの件を夢中になって調査をしていたから、すっかり忘れていた。姉に言われて、そ
れだけ充実している日々を送っているのは確かだと、ソーレは思った。
 終わって欲しくない----そんなことすら思う。


「夕方ぐらいには解ると思うけれど、その時にはどこにいる?」

「ああ。アーキルとアルベルトと約束をしている。オヤジの酒場で落ち合う予定だ」

「そう。オヤジの酒場ね。解ったわ」

 ヴィーナスは頷くと、ソーレをもう一度まっすぐ見た。その眼差しはとても厳しく、冷静だ。

「ソーレ、アーキルによろしくね」

 ヴィーナスは、一寸不敵な笑みを浮かべて、手をひらひらと振る。

「ああ。じゃあ、失礼する」

「じゃあ、また後で」

 ヴィーナスの部屋を出た瞬間、ソーレは気付く。

 ヴィーナスはきっと、エスメラルダの遺体についての報告を口実に、アーキルに稲妻ラリアットの技を掛けに、オヤジの酒場にやってくるはずだ。
 それを見たルーナが、更にヴィーナスを尊敬して、憧れる様子が目に見えている。ソーレは頭を抱えたくなった。

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