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ルーナは、毎日、はりきってエスメラルダの治療に向かう。 最近は随分と、ヒーリングの力も充実してきて、ルーナとしては喜ばしいことだった。 漲る力をもっとヒーリングに役立てたい。エスメラルダの為は勿論、今後、多くの患者の為に役立てたかった。 力を高めることが出来るようになっただけでも、今回の仕事を引きうけて良かったと、ルーナは思っている。 今日は、アーキルも一緒なので、ルーナにとっては何よりも心強かった。 ヒーラーとしても、医師としても、まだまだ半人前であるから、ルーナはアーキルに助けてもらいたいというのが本音だった。 「エスメラルダ様、こんにちは。今日はにゃんこちゃんのご飯を取った、アーキル先生のお話をしますね。勿論、本人も後ろに控えていますよ」 「お前、いらねえこと言いすぎだって」 ルーナとアーキルが話している様子を、エスメラルダは穏やかな表情で聞いてくれている。以前に比べて、随分と柔らかな表情になった。 今日は、診察の時間から、シュタインがいる。まるでルーナたちの診療を楽しみにしているような、そんな雰囲気すら感じられた。 あれほど、ルーナたちが行うことを否定していたシュタインが、今日は希望を持って見つめている。それがルーナには嬉しい。 シュタインが認めてくれること。それは、治療を更に深く進めるのに、役立つと思った。 ルーナはいつものように、エスメラルダの手をしっかりと握りしめながら、少しずつ力を注ぎ始める。 こうしているとルーナは温かな気持ちになる。親しい者といるような気持ちになる。 「私が診療所に住み着いているにゃんこちゃんに、いつもごはんを作っているんですが、たまに、お腹が空くからとかで、アーキル先生が食べてしまいます。あくまで猫のために作っていますが、アーキル先生が、食べるから困っているんですよ。にゃんこのご飯を盗むなんて、飼い主としては風上にもおけないですよね。しかも猫のご飯だから、お魚たっぷりに汁かけてるだけなのに」 エスメラルダが楽しめるようにと、ルーナはなるべく面白おかしく話をする。 「ルーナ、お前は本当に一言多いんだ」 アーキルが怒ったようにわざと言うと、ルーナを優しいげんこつで小突いた。 「暴力反対です、アーキル先生。本当のことでしょう? だけど、エスメラルダ様は楽しそうですよ。先生の色々な話を覚えていて良かったです」 ルーナはわざと明るく言いながら、透明な力をエスメラルダの身体に注いでいく。 だが、途中で、固い何かにぶつかったような感覚があり、思わず目を見開いた。 力を高めて、注げば、注ぐほど、ルーナは違和感を覚えて眉根を寄せる。 力が固い何かにぶつかって戻ってくるような感覚がある。 ヒーリングの力を注げば、注ぐほどに、力が跳ね返されて抵抗が大きくなり、ルーナは思わずエスメラルダから手を離した。 自分のヒーリングの力が日に日に充実しているのは分かっている。その力を強くすると、跳ね返る。 折角、もっとエスメラルダを癒すことが出来ると思ったのに、それが敵わないのが切なくて、悔しくて唇を噛み締めた。 「どうした? ルーナ……」 ルーナの表情の変化にいち早く気付いて、アーキルが低い声で鋭く訊いてくる。 「ヒーリングの力が跳ね返ります」 「力が?」 「はい。力を強めると跳ね返ってくるんです。まるで拒絶されているような、そんな感じがするんです。命を否定されているような、そんな雰囲気が」 上手く言葉では説明できなくて、ルーナはもどかしさを感じた。 「ヒーリングの力は、命を更に強くするためのものですが、その力を跳ねのけてまるで命を拒絶しているような。命を、生きる美しさを否定しているような。上手く言えませんが……」 ルーナはもどかしくてたまらなくなる。どうして上手く言えないのだろう。言葉を探せば探すほど、見つからない。 だが、ルーナの言いたいことが伝わったのか、シュタインは心臓が止まるようなリズムで息を呑んで、顔色を変える。 追い詰められた気まずさを滲ませた表情だった。 「命を否定するような……」 アーキルは眉を潜めながらルーナの言葉を反芻した後、直ぐに、聴診器をエスメラルダの胸に置いて、心音を確認する。 同時に、紙に数字を書き入れ始めた。 アーキルの表情は厳しく真摯に患者と病に向き合っている医師の顔だ。とても精悍で男らしい。 エスメラルダも、アーキルのこのようなところを愛しいと思っていたのだろうか。なら、その想いを蘇らせて欲しいと思った。 アーキルに密着されても、エスメラルダは全く反応しない。ただ、瞳は不思議と夢見るように輝いている。 恋する人形のような表情だった。 アーキルはその間、ひたすら心音のリズムを記録し続けていた。 エスメラルダの様子は見ず、ただひたすら心音を追いかけている。 真剣にエスメラルダと向き合うアーキルを見つめながら、ルーナは少しでも師匠の持つ技量を吸収できればと思い、ただ凝視した。 ふと、アーキルは、エスメラルダの腕にも聴診器を当てる。 何も聞こえないはずなのに、じっと何かを聞いているかと思うと、確信したように頷いた。 そして、エスメラルダの手を、しっかりと握りしめる。するとエスメラルダの瞳が開かれたかと思うと、甘いはにかみの余りにドキリとしたような反応を見せた。 「人形ではないのか……」 アーキルは、明らかな反応を見せたエスメラルダを、じっと観察する。 今までは、何処か苦しい恋情を滲ませていたのに、今や冷静で事務的だった。 エスメラルダを診る度にあれほどまでに、動揺を滲ませていたアーキルが、誰よりも冷静に診ているのがとても不思議だ。何か心境の変化でもあったのだろうかと、ルーナは思った。 それとも、エスメラルダをもう過去のエスメラルダと同じようには見られなくなった何かを見つけてしまったのかもしれない。 「人工的な部分、そしてそうでない部分……」 アーキルは自分の考えを整理するように、ぶつぶつとひとりごとを言う。 「エスメラルダな部分とそうでない部分……」 アーキルのひとりごとに、ルーナも、何かもやもやとしたエスメラルダの状況が、分かりつつあるような気分になる。 同じように、アーキルの一人言に耳を傾けていたシュタインは、苦し気に唇を噛み締めた。 アーキルは、離れた場所で診察の様子を見ていたシュタインを見上げる。 シュタインもまた、アーキルが自分に対して何を言いたいのか、何を訊きたいのかを、直ぐに理解したようだった。 「話がある。シュタイン」 ふたりの雰囲気が強張る。 ルーナは鉄よりも重たい深刻な空気を感じ取った。ふたりは、お互いに何を話すのか解っているようだった。 「解った……。ただ、俺も仕事があるから、夕方で構わないか? 月の子と、ソーレも一緒に話がしたい」 シュタインは、いつものように目線を外すということはなく、ただ、真っ直ぐと、ルーナとアーキルを見つめてくる。 そこには裏切りだとかの光は感じられなかった。 誠実な光しか、ルーナには感じられない。シュタインがふたりに対して、そしてエスメラルダに対して誠実でいたいのだと、感じ取れる。 「解った」 アーキルも、シュタインの気持ちを理解したのか、静かに頷いた。 「では、オヤジの酒場で」 「解った。ルーナ、今日のヒーリングはこれまでだ。診察も終了するぞ。帰る支度を」 アーキルは手早く診療器具を片付けていく。ルーナもそれに従って、手早く片付け始めた。 アーキルは無言で感情のない冷徹な顔をしている。静かに激怒しているのは、明白だった。 「行くぞ、ルーナ」 アーキルは誰にも挨拶をすることなく、部屋を出ていく。 ルーナも慌ててそれに続いた。挨拶をしないなんて不義理をする男ではないのに、それほどアーキルが動揺しているのだろうと、ルーナは思った。 「あ、あの、エスメラルダ様、サルマさん、シュタイン博士、失礼します」 ルーナは、仕事道具を抱えながら、先を急ぐアーキルを追いかけて行く。 「アーキル先生、待ってください」 ルーナが声を掛けると、アーキルはピタリと歩みを止めた。 「ルーナ」 アーキルはルーナを一瞬、見つめた後、目を伏せる。 「あれは、エスメラルダであって、エスメラルダじゃない。完全なエスメラルダじゃない」 アーキルはまるで呪文を呟くように、切ない声を出した。 「アルベルトと決着をつけるまでは、まだ時間はある。ルーナ、俺についてこい。街に出るぞ」 アーキルは、ルーナに可否を訊く前に、早足で歩き出す。着いて行くしかなかった。 「ルーナ、お前は本当にエスメラルダが生きていると思っているか?」 随分と難しい質問をアーキルはしてくると、ルーナは思う。 「判断が難しいんですよ。正直、私はエスメラルダ様が生きているとは思えないです。けれども、死んでいるとも思えないんです」 「亡霊め」 アーキルは小さく低い声で、忌々しいように吐き捨てる。 亡霊----きっとアーキルには、元に戻らないエスメラルダは、亡霊であり、忌々しいものなのかもしれない。 ルーナたちが歩いていると、前から颯爽とソーレがやってきた。優美に黄金の髪を揺らして、背筋を伸ばして美しく歩いている。まるで太陽の化身のようだと、ルーナは思わずにはいられなかった。 視線とこころを奪われ、ルーナはソーレだけを見つめた。 「アーキル、月の子」 ソーレは、ふたりに声をかけて立ち止まる。ルーナたちも歩みを止めた。 アーキルは相変わらず考え込んだ表情を崩さない。眼差しは深刻な光を帯びている。 「月の子、何かあったのか?」 「後でシュタイン博士と、エスメラルダ様のことで話すことになっているんです。それにソーレさんも同席して欲しいと」 「ああ。俺は構わないが。それにしてはアーキルの様子が変だな。元々変なヤツだが」 ソーレは、アーキルに目線を送りながら、眉を潜めた。 「どうせ、エスメラルダ様がらみか」 「先程も、“亡霊”と……」 「“亡霊”ね……」 「ソーレ!」 ようやくソーレの姿を認識したのか、アーキルは声をかけてきた。 「ソーレ、お前に調べて貰いたいことがある」 アーキルは思い詰めたように、ソーレを見る。 「何を?」 「おばば様と、俺が、エスメラルダの死亡を判断した後、生きていると確認されるまでに、エスメラルダの亡骸が消えたとか、そのようなことがなかったか、調べて欲しい」 面妖なことだと、ソーレも完璧に整った表情を曇らせる。 皇女の遺体消える----それがとんでもないスキャンダルであることは、ルーナでも理解出来た。もし、消えたのならば、一時的に誰かが持ち去ったとも思える。そんなことをすれば、重罪であることは間違いない。。 「エスメラルダ様の亡骸か。解った、直ぐに調べよう」 「恩に着る」 「姉さんに訊けば、何か解るかもしれんな。アーキル、お前が直接訊いても構わないぞ」 「ヴィーナスだけは遠慮しておく。ガキの頃の稲妻ラリアットの悪夢が」 アーキルはあからさまに恐ろしそうに呟いた。 「ああ、あれは悪夢だ。しょうがない。俺が訊いておくか。で、今日の話は何処で?」 「ソーレ、オヤジの酒場に、夕刻に」 「オヤジの酒場だな。解った」 ソーレは反芻しながら頷く。 「では後でな。そのことについては、姉さん経由できちんと調べておく。夕刻までに結果が解れば知らせる」 「ああ、頼んだ」 ソーレは頷くと、ルーナに視線を送る、このような魅惑的な瞳で見つめられて、ドキリとしてしまう。 「では、月の子、また、後で」 「はい、ソーレさん」 ルーナはソーレの後ろ姿を見送りながら、その背中の逞しさと精悍さに、どこか敬意を感じていた。 ソーレが行った後、漆黒の闇のような美貌が目を引く、サクルが美しい姿勢で、エスメラルダの部屋に向かう姿が見えた。 堂々とした美丈夫に、ルーナは視線を向けずにはいられない。 ソーレとは正反対だと思う。 ソーレが光を抱いているならば、サクルは闇を抱いていると思った。 サクルは、ルーナの視線に気付いたのか、一瞬、こちらを見つめる。 ほんの一瞬向けられた視線は、氷のように冷たくて、ルーナは、心が冷え切るような気がした。 |