アスール・ルーノ

13


 馬で街に出て、観光がてらに、ルーナはアーキルのお供をしていた。
 アーキルは、問屋を色々と訪ねては、町の患者のための薬草を大量に買い求める。
 アーキルの買い物についてゆくと、勉強になる。
 アーキルの薬草の選び方を、ルーナは一生懸命覚えていた。

「アーキル先生、随分と沢山買うんですね」

「ああ。もうすぐ俺たちの仕事は終わる。十中八九な。だから、沢山の薬草を仕入れておきたいと思ってな。ここはやはり最高の薬草問屋が揃っているから、良いものが目白押しだ。今のうちに買いそろえておかなければな」

「そうですね。私も、何かヒーリングの道具を見ておいたほうが良いですね。後は、患者さんたちにお出しするハーブティーの材料なんかも見たいなあ……」

 大都会の問屋であるから、種類も豊富でルーナも目移りする。
 自分の少ない収入の中で、何とかやりくりしながら、ハーブを買わなければと、つい意気込んでしまう。

「お前も、後悔がないように買い物をしておけよ。ここまではなかなか来られないし、ここまで来るのは相当骨が折れるからな」

ルーナは気合を入れて買い物をする。
 洋服などには本当に頓着しないのだが、ハーブ類や薬草類はつい拘ってしまう。これは月の民だからだと心から思った。

「買い物が済んだら、待ち合わせ場所に行くぞ。今後の対策を立てる為にも、お前もしっかり話を聞いて、真剣に参加してくれ」

「はい」
 いよいよ、エスメラルダの本格的な治療方針が立てられるのだ。
 だからこそ、アーキルはもうすぐ終わると豪語することが出来たのだろう。ルーナは緊張の面持ちでしっかりっと頷いた。

 初めての大きな仕事がもうすぐ終わりを告げる。
 自分がやるべきことは、ベストを尽くすことだけだと、ルーナは思わずにはいられなかった。

 茜色の澄み渡った見事な夕陽が空を染めるまで、アーキルとふたりで買い物三昧をした。
 よく、女性がストレス発散に買い物をすると言うが、まさに、今日のアーキルとルーナもそれに似たような状況だった。
 買い物は本当に楽しくて、ルーナはすっきりとした笑顔で、夕方を迎えられた。

「本当によく買えましたし、買いましたね」

「ああ」

 買い物に於いては、アーキルもルーナも勝利者だと信じて疑わなかった。
 本当によく買い物をしたものだと、ルーナもアーキルも思う。
 お互いにほくほく顔だった。引いている馬の上にはすでに荷物でいっぱいだ。
 見事な戦利品を見せびらかしているように雰囲気すらあった。

「楽しかったです」

「そうだな」

 アーキルはフッと笑った後、空を見て、懐中時計を確認する。
 アーキルの表情は表情が真剣なものに変わった。

「さてと。ルーナ、待ち合わせ場所に行くか」

 買い物モードから、仕事モードに切り替えなければならない.。
 ルーナもまた、緩んでいた表情を引き締めた。

 待ち合わせ場所に向かう間、ルーナもアーキルも全く無言だった。
 既に、厳しい話になることは、お互いに予想がついていたからだ。
 アーキルは医師として、ルーナはヒーラーとして、お互い最大の試練になるということは、充分過ぎるぐらいに解っていた。

 医師とヒーラー。
 どちらが欠けても、医療は成り立たない。
 医師がその技術を使い、ヒーラーが傷やこころをいち早く癒せるように力を送る。
 その力を、今はエスメラルダに強く向けたかった。

「もうすぐだ。オヤジの酒場の飯はかなりうまい。それだけは楽しみにしておくと良い」

 ルーナは、いつものように素直な笑顔を浮かべることは出来ずに、どこか強張った笑顔だけを浮かべてしまっていた。

 オヤジの酒場の前には小さな広場のようなものがあり、そこにはすでに、シュタインが待っていた。
 どこか思いつめたような表情で空を見上げている。まるで迷子のようだと、ルーナは思った。きっと、シュタインは魂の迷子なのだろうと、ルーナは思う。

「シュタイン博士」

 アーキルがむすっとした不機嫌な表情をしていたので、ルーナが躊躇いながらも声をかけた。

「月の子、アーキル……」

 シュタインはどこかホッとしたような穏やかな笑みを浮かべた後、ふたりに近づいてくる。
 まさにその時だった。

 三人は同時に息を呑む。

 恐ろしいほどに不気味で重い数多の殺気を感じ取り、ルーナは素早く剣の柄に手を掛けた。
 人を斬れない剣。
 だが、はったりぐらいにならなると思った。
 アーキルもルーナよりも素早く剣を抜く。
 そして、意外にもシュタインも俊敏な仕草で剣を抜いた。

「お前がはめたのではなさそうだな……」

 アーキルは苦々しい低い声で呟く。

「俺のはずがない。恐らく、俺をつけていたのか、お前たちをつけていたのかのどちらかだ」

 シュタインは静かに呟くと、冷徹な炎を剣に宿らせる。
 シュタインもまた、かなりの剣の技量を持っているのだと、ルーナは本能で気付いた。
 
 刺客の数など、数えたくないほどだった。
 これほどの数が一体どこから湧いてくるのだろう。ゆうに十人以上はいる。

 夕陽が最後の力を振り絞って、空と街を紫色に変化させる。
 アーキルの剣に夕陽が反射したのと同時に、剣は振り下ろされた。

 刃がきらめく中、アーキルは刺客たちの剣を飛ばして、容赦なく次々と斬ってゆく。
 そして、シュタインもまた華麗なる剣術で、舞っているかのように、刺客たちに襲いかかって行った。
 だが、ふたりがいくら倒しても、様々な場所から刺客が湧いてくる。まるで増殖するカビのようだ。

 ルーナも応戦しようとしたが、斬れない剣である以上は、峰打ちをするのが精いっぱいだった。
 しかも、ルーナの剣を振るうと、刺客たちの傷が癒されて、また立ち上がる者もいる。

「刺客よ! 逃げなきゃ!」

「殺しあいだ!」

 市民たちは、街の真ん中で堂々と始まった闘いに恐れをなして逃げてゆく。
 誰もが、恐怖に感じてしまうほどに、激しい剣の打ち合いになりつつあった。

 背筋に嫌な物が流れる。
 このまま、こちらが疲れ果てるまでの闘いになってしまうのだろうか。
 息が出来ないほどの恐怖と焦燥を感じながら、ルーナは剣を振るった。
 それ以外に、自分を護る術などないように思えた。

 アーキルの額からも玉のような大粒の汗が弾き、シュタインもまた銀色の髪を汗で湿らせる。

 先ほどまでまれほど騒がしかった通りが、今はすっかり静まり返ってしまっている。
 誰も、近づくことが出来ないほどに、静かに、そして激しい打ち合いになっていた。

 ルーナは、刺客たちの剣を何とか受け止める。
 かなりの技量の上、相手は男だ。
 少女であるルーナが到底受け止められる力ではなかった。それでも何とか対峙していたものの、体力は削られてゆく。

 苦しくてたまらない。
 同時に、手が痺れて、力が入らなくなってきた。足元もふらふらする。
 剣を振るう度に、自分の力が取られてしまい、相手に力を与えているような、そんな錯覚に陥る。
 いや、実際にそうなのかもしれないと、ルーナは自覚する。

 足がもつれて、上手く、立ち回りが出来ない。
 いつもならば、ひょいと身体が軽くなって簡単に、剣を振るうことが出来るというのに。
 この瞬間に限っては、いつものことが出来なくなってしまっていた。どうすれば良いのか。

 アーキルとシュタインに助けを求めようにも、この大勢の刺客の相手をするのに精いっぱいのようだ。
 ルーナが何とか踏ん張ろうとした時だった。
 何かに足を取られて、そのままもつれてしまい、ルーナはその場で滑って尻もちを吐く。

「ヒーラー覚悟っ……!!」

 いかにも腕っ節が強そうな強烈に良い体躯を持つ男が、ルーナに向かって大剣を大きく振り下ろしてくる。鼻先まで剣を感じ、もう駄目だと思い、目を強く瞑った時だった。

「月の子!」

 透明感のあるガラスの剣のような声が鋭き響いたかと思うと、ルーナの目の前にシュタインが現れた。
 同時に、男の剣が、シュタインの背中を切り裂く。

「うっ・・・・・・!!」

「シュタイン博士!?」

 ルーナは大きな瞳を見開いたまま、息を止め、ただ呆然と、シュタインが倒れてゆく様子を見つめることしかできない。

 まるで、時間が遅まきになったかのように、シュタインは、ルーナの目の前で、ゆっくりと倒れ込んでいく。
 ルーナは胸が締め付けられ、喉から何か恐ろしいものが出てしまうのではと思うほどに、痛みを鮮烈に感じた。
 肉体的な痛みではなく、それは魂の痛みだった。
 
ルーナは大きな瞳を見開き、大粒の涙を零す。
 身体が震え、表情は悲しみで強ばった。
 
 ルーナが身体を小刻みに震わせていると、シュタインの瞳とルーナの瞳が重なる。
 銀の髪をまるで宝石のように揺らしながら、シュタインは静かに微笑みながら倒れていった。

「シュタイン博士!!」

 ルーナの悲痛な叫びは、星が瞬き始めた空にこだまする。
 だが、それは悲しくてやるせない響きでしかなかった。

「好都合だ! 今度こそお前だ! ヒーラー!」

 男は調子に乗ったように、今度はルーナをぎらぎらと好戦的に輝いた瞳でとらえると、一気に剣を振り下ろしてゆく。

「……うっ、ううっ!!」

 アーキルが男の背後から、頭に向けて剣を振り下ろす。
 そのまま男はルーナの目の前に倒れ、ピクリとも動かなくなった。

 アーキルは表情を変えなかったが、一瞬、シュタインを見たときに、瞳に絶望にも似た悲しみを滲ませていた。

「アルベルト……」

 シュタインと男が斬られる姿を目の当たりにしたせいで、ルーナは恐怖のあまり、腰から下に力が入らなくなる。
 いくら立ち上がろうとしても、上手く、力が入らない。

「……アーキル先生、シュタイン博士が……」

 アーキルは解っているとばかりに、一度だけ頷いた後、感情を振り切るようにルーナを見つめる。

「ルーナ、大丈夫か!?」

 アーキルがルーナに手を差し伸べようとした。
 その背後で、更に別の刺客が今度はアーキルの頭に向かって剣を振り下ろそうとしてくる。

 恐ろしさに余りに声を出すことも出来ず、ルーナは心臓がこのまま止まってしまうほど痛みが走る。
 嫌だ、もう嫌だと思った時だった。

 アーキルを狙っていた刺客は、今度は別の力強い剣によって駆逐されてしまった。

「遅くなった」

 現れたのは、ソーレだった。
 金色の髪を優雅に揺らして、何事もなかったかのように、剣から血液を振り落とす。
 ソーレはすぐに厳しい眼差しでルーナを捕えた。

「月の子、今のうちに逃げろ!」

 ソーレがとがった声で言うと同時に、馬がルーナに向かって走ってくる。かなりの勢いだ。

「月の子、それに飛び乗れ!」

「え、あ、あの!?」

 暴れ馬のように突進してくる馬に、ルーナはどうして良いのかが解らずに、戸惑ってしまう。
 しかも、腰を抜かしてしまった今となっては、馬になんて、そう簡単に飛び乗ることなど、出来るはずもなかった。

 ルーナが逡巡していたのはほんの一瞬だった。
 ソーレは素早くルーナを抱き起し、そのまま身体を軽々と持ち上げ、暴れ馬に乗せてしまう。

「あ、あのっ! シュタイン博士や、先生は!?」

「いいから、すぐに掴まれ!」

「は、はいっ!」

 ルーナは言われるままに馬につかまる。馬になんて普段は乗り慣れているのに、今は怖くてしょうがない。

「ソーレ、月の子と一緒に宮殿まで逃げなさい。その子が一番優先よ! 月の子を護るのがあなたの責務でしょ!? あなたは月の子の命を護らなければならないの!」

 鋭い声と共に、優雅な巻き毛を野性的に揺らしたヴィーナスが現れた。
 剣を片手に、既に、かなりの刺客を倒している。早わざと言っても良かった。

「解った。後は頼んだ!」

 ソーレはヴィーナスに素早く礼を言うと、すぐさま、ルーナが乗る暴れ馬に飛び乗る。
 いきなり背中を護られて、ルーナは心臓が跳ね上がるほどどきりとした。
 優しい温もりとたくましさを感じる。
 甘いドキドキを感じる。
 それは決して不快なものではなかった。

「もう大丈夫だ。震えなくても良いんだ」

「ソーレさん」

 ソーレの優しいが男らしい低い声に、ルーナは全身に安堵が流れ込んでくる。
 これで大丈夫だ、ホッとすると、不思議と、身体のこわばりが楽になってきた。

「ソーレさん、有り難うございました」

「このまま、宮殿まで向かう。あの場所が一番安全だからな。ある意味な」

 ソーレは、黄金の見事な髪を夕陽に輝かせながら、風を切るよう靡かせる。
 太陽に愛された太陽神のようだと、ルーナは思わずにはいられない。
 本当に美しく、精悍な人だ。

 こうしていると、しっかりと護られているのだと、ルーナは強く実感していた。
 自分はこうして助けられたし、助かった。
 だが、アーキル、シュタインたちはどうなるのだろうか。自分だけが助かるのは、これほど苦しいことはない。

「ソーレさん、ヴィーナスさん、アーキル先生とシュタイン博士は……」

「大丈夫だ。三人とも必ず無事に戻ってくる」

 ソーレは全く迷いがないようにキッパリと力強く言いきってしまった。

「どうしてですか?」

「アルベルトは死んでいない。医者であるアーキルも一緒にいる。それに、殺してもアーキルは死なないだろうし、それよりも、百回殺しても死なない姉さんが一緒だからな。恐らくは、俺たちよりも少し遅くに、宮殿から戻ってくるだろう」

 ソーレの言葉を聴くと本当にその通りのような気になってくる。ルーナはほんの少しだけ、心配の枷を外して、身体から力を抜く。

「はい。ヴィーナスさんがついているから大丈夫ですね」

 ルーナはわざと明るく返事をする。

「ああ、もちろんだ。安心しろ」

「はい」

 今はソーレのことを信じよう。ルーナに今できることはそれしかないと思った。

「今のお前は落ち着くこと。そして、無事に宮殿に帰ること。それだけを考えろ」

「はい」

 後は、ヴィーナスに任せておけば良い。
 そして、今、自分が考えるべきことだけに集中しようと、ルーナは決めた。

 決して振り返らない。今は心配しないほうが良いのだ。ルーナは自分にそう言い聞かせた。

「スピードを上げるぞ。しっかり掴まってろ」

「はい」

 ソーレの鍛えられた鞭のようにしなやかな背中に掴まる。
 この背中に縋っていれば、きっとどのようなことがあっても乗り越えてゆけるだろう。安心出来るだろう。
 だが、それが決して許されないことは、ルーナは本能で解っていた。
 月の民と騎士。
 越えられない壁があるのだから。

 解っているからこそ、ルーナは理性で自分自身に解らせようとしていた。

back top next