アスール・ルーノ


「眩しい程に輝く黄金の太陽と蒼い月が、とうとう出逢うのか……」

 おばばがタロットカードを片手に溜め息を吐くのが聞こえて、ルーナは一瞬、声を掛けるのをためらった。だが、おばばはルーナがいることに気付いたのか、素早く振り返った。

「あ、あの、おばば様、行ってきます」

「いっておいで。アーキル殿に宜しくな」

「はい。先生に言っておきます」

 鮮やかな朝陽に包まれながら、ルーナは張り切って、今日も仕事に出掛ける。
 今日もどれだけの人のためになれるのか。それがルーナの楽しみだった。

 ルーナは、十四の頃から、住んでいる村の隣にあるベリトスの町で、評判の医師の助手をしながら、医術を学んでいる。今年で三年になる。
 師匠である医師アーキルのいい加減具合が好きだ。いつものんべんだらりとしてはいるが、医術の腕が確かなのは、誰もが認めるところだ。
 誰でもわけ隔てなく診療する姿勢も、ルーナは尊敬していた。
 ずっと助手を取らずにやってきたが、おばばの頼みで、ルーナを預かって、医者として育ててくれていた。それには深く感謝している。

 だからこそ、いつか、民族の垣根を越えた立派な医者になりたいと思う。

「ルーナ、いってらっしゃい!」

「行ってきます、おばさん」

 洗濯物を干す途中で声をかけてくれた近所のおばさんに挨拶をして、ルーナは町に向かって駈けてゆく。

 月の民だけが暮らすムーンオアシス村は、砂漠が近いせいもあり、焼けた砂の独特な臭いがする。
 人々の汗と砂、そして水が交り合う風の臭いは、ルーナにとって、安心出来る臭いだった。心を震わせる故郷の臭いだ。
 砂埃の臭いがする道を、ルーナはすんなりとした長く細い足で、まるで小鹿のように駈けて行く。砂漠に小鹿とは妙な取り合わせだと、笑われることもしばしばだ。医療器具が入った大きな鞄を肩から掛けて、ルーナは飛ぶように走った。

 一族とも、昔に比べると上手くいってはいる。だが、まだ"蒼い月"の産まれと言うだけで、疎まれたり、差別されたりしている。特異な力などないにもかかわらずだ。
 疎まれた存在だから、ルーナは誰よりも人々を癒したかった。

 ルーナは癖のある肩までの短い漆黒の髪を揺らしながら、町外れの診療所に向かう。多くの人を癒すことが出来、自らも癒される、ルーナの大好きな場所だった。

「アーキル先生、おはようございます!」

 ルーナが診療所の扉が壊れてしまうぐらいの勢いで開け、いつものように元気よく挨拶をする。アーキル医師がボサボサの髪のままで、面倒臭そうに奥から出てきた。

「おう、おはようさん、ルーナ。朝から元気だな」
 相変わらずの無精髭を生やして、ボサボサの髪をポロポリとかき、アーキルはあくびをしながら面倒くさそうに挨拶をする。

「早くしないと、患者さんがやってきますよ。さあ、準備をしましょう!」

「ああ。お前さんが適当に準備をしといてくれ。俺は、まだ朝メシも食ってねえんだよ」

 アーキルは白衣を風のようになびかせて着こむと、こきこきと首を鳴らした。

「はいどうぞ。どうせそんなことだろうと思って、ピタを作ってきましたよ。それ食べたら、仕事をしましょう」

 ルーナは家から持ってきた、野菜が入ったピタをアーキルに差し出す。すると、アーキルの目がらんらんと輝いた。

「おっ、流石はルーナだな。おかんよりも気がきく」

「おかん扱いしないで下さい。それより早く食べて下さい。患者さんがいっぱい待っているんですからね」
「おうよ」
 アーキルは名産のお茶を片手に、ピタを頬張りながら頷く。本当に子供みたいだと思う。
 だが、その医術の腕は、この国で最高なのだから、そのギャップが可笑しかった。
 まるで子供のように、口から野菜をぽろぽろと零しながら、アーキルは食事を済ませる。
 白衣に袖を素早く通すと、彼は別人のような、精悍な表情に切り替わった。医師としてのスイッチが入ったのだ。

「おし、ルーナ。仕事を始めるぞ!」

「はい! 先生」

 ルーナが診療中の看板出すと、早速、患者たちが大勢やってくる。

 アーキルは皇室の専属医師にという申し出も断り、この町で人々を癒す医師として活躍している。ルーナは、いつも庶民に寄り添うアーキルを尊敬していた。

「アーキル先生、どうも腰が痛くてね」

 働き者の町のおばあさんが、腰をさすりながら苦しそうに、診察室に入ってきた。

「どれどれ。ルーナ、お前の手で癒してやれ」

「はい」

 アーキルに言われ、ルーナは深呼吸をして精神を集中させながら、腰に手を充てる。しばらく腰に手を充てると、おばあさんはホッと息を吐いた。
「ルーナ、有難うね。お蔭で随分と楽になったよ」

「ばあちゃん、後は、薬草で作ったこの薬を飲んでたら治っから」

 アーキルは薬を手早く処方し、おばあさんに手渡す。すると、おばあさんは、皺の刻まれた顔に笑い皺を刻む余裕すら出ていた。

「相変わらずテキトーだね。アーキル先生は」

「おうよ、テキトーなのが俺の信条だからな」

「まあ、その気取らないところが良いけれどね。ルーナ有難うね。先生、またね」

 先ほどまで、腰をさすっていたそうにしていたおばあさんが、今は元気になって軽々とした足取りで歩いている。
 その姿を見送りながらルーナは嬉しくなる。多くの患者の癒された喜ぶ姿が見られるから、ルーナはこの仕事を一生止められないだろうと思った。

 午前中、多くの患者を看て、ルーナは心地好い疲労を手にしながら、診療室の奥にある部屋に入った。
「うわっ!」

 何かを踏んで躓いてしまい、ルーナはそのまま転んでしまった。一瞬、痛かったが、石で出来た床に転ぶよりも、柔らかな痛みだった。

「いたっ!」

「こっちが、痛いだ!」

「え!?」

 どこか透明感のある男らしい声が聞こえて、ルーナが目を丸くして振り返ると、そこには見事な金髪を持つ、美しくも精悍な男が転がっていた。
 気だるそうな瞳をルーナに向けて、軽く睨みつけてくる。
 まさかこんなにも綺麗な男の人がいたとは思わなくて、ルーナは慌てて体勢を整えると、直立不動になった。

「ご、ごめんなさいっ!」

 ルーナが細い身体を深々と折り曲げると、後ろから呆れるような溜息が聴こえた。

「ソーレ、お前さんがそんなところで寝てるから悪いんだろうが。ルーナも、まさかこんなところで人が寝てるなんて思わんだろうが」

 アーキルの呆れ返る声に、ようやく男は起き上がる。

「何処に寝ようが俺の自由だ」

「ここは俺の家だ、ソーレ。誰を寝せるかを決める権利は俺にある」

 アーキルは明らかに不快そうに言うと、ソーレと呼んだ男を真っ直ぐ見つめた。

「最近、疲れてたからなあ。ま、お前の家は俺の家も同然」

 ソーレも、アーキル同様に、大木の幹よりも太い神経の持ち主のようだった。
ルーナはふたりが友人であることは、至極当たり前のことのように思う。この男にして、この友人有りだ。

「アーキル、腹減ったから、飯を食わせてくれ。帝都からベリトスまで夜通し馬を走らせて来たから、飯食う暇がなかった」

 ソーレは、まるで我が家に寛ぐかのように、古びたダイニングチェアに腰掛ける。脚が長いせいか、どこか窮屈そうだった。

「それは大変でしたね。だったら、一緒に作りますよ。カレーだから増えても変わりませんから」

 ルーナがくすくすと笑いながら言うと、ソーレは、まるで食事を前に甘える仔猫のように瞳を爛々と輝かせた。

「ホントか!? アーキルの弟子にしては、良い出来だ。頼んだ!」

「はい」

「ルーナ、そいつを甘やかすな。いっそ、カレーに毒草を混ぜても良いからな!」

 アーキナルはわざと厳しく言い、ソーレを睨み付けた。一瞬、ソーレの表情が鋭くなる。

「ルーナ。"月の子"か……」

 ソーレは低く良く通る声でひとりごちると、一瞬、厳しい眼差しを宙に向けた。その瞳は、まるで鷲のように光っていた。

「あ、あの。私の名前が何か?」

 ソーレの雰囲気が一瞬にして張り詰めった糸のように変わったので、ルーナは戸惑いながら声をかける。

「"月の子"だろ? お前」

 太陽の光を吸収してプリズムに換えるソーレの瞳に真摯に捕えられて、ルーナは落ち着かない気分になる。緊張と困惑の空気を吸いこんでいるかのようだ。

 "月の子"----蒼い月の夜に生まれた子供の総称だ。ルーナは蒼い月の夜に生まれたが、そのように言われたことは今までなかった。

「そう呼ぶ人は、いません。私は、確かに蒼い月の夜に生まれましたが、力がないのでそうは呼ばれません。"月の子"と呼ばれるのは、それに相応しい力のあるものだけです」

 自分で言っておきながら、まるで小さな虫にでも刺されたかのように、ルーナの胸はチクリと痛んだ。本当にそうなのだからしょうがないと思いながらも、ふがいなさも感じていた。

「じゃあ、ご飯を作ってきます」

 ルーナは気分を取りなおしてキッチンに立つと、持ってきたカレーを鍋で温め直す。月の民で大々的伝わっている秘伝のカレーなのだ。それを石焼きのナンにつけて食べるのだ。ルーナも大好きなメニューだ。

「良い匂いが漂ってきたなあ」

 ソーレは先ほど見せた緊張感などなかったかのように、のんびりと呟きながら、嬉しそうに微笑む。微笑むと少年のように純粋なひとだと、ルーナは思った。
 ルーナは、粗末な木で出来たダイニングテーブルの上に、三人分の昼食を並べる。すると、ルーナよりもずっと年上の大の男ふたりが嬉しそうな表情を浮かべた。

「じゃあ、食べましょうか。いただきます」

「いただきます」

 三人で手を合わせた途端、男たちふたりはカレーに貪りつく。確かに一族に伝わっている秘伝のカレーはかなり美味しくて、ルーナも夢中になって食べるほどだ。空いたお腹にはよい刺激だ。

「美味いな、流石は月の民の特製カレーだな」

 ソーレは感心するような言いながら、まるでお腹をすかせた子犬のようにがつがつと短い時間で平らげる。
 一旦、食事が終わってしまうと、大人の男たちも満たされたせいか、落ち着いた表情になった。

「----ソーレ、第一騎士団団長であるお前が、わざわざこんな田舎に早馬で出向くなんて、よほどのことなんだろう?」

 いつものどこか茶化した雰囲気ではなく、アーキルは、見る者を怯えさせてしまうほどに鋭く冷たい眼差しを、ソーレに向けた。ソーレもまた、平然と視線を受け止める。

 先ほどまでは、あんなにも親しみやすい雰囲気だったのに、ソーレは怜悧で厳しい表情を浮かべる。第一騎士団は帝国の騎士の中でも精鋭たちを束ねている。そこの団長には相応しい目つきだと、ルーナは思わずにはいられなかった。

「おばば様に神託を貰いに来た」

 ソーレは、アーキルではなく、ルーナだけを真っ直ぐ見つめた。まるでアーキルには用がないとばかりの目遣いだった。

「神託なら、他の者が来ても良かっただろうに。それに、信託の場合はおばば様が、帝都に出向く場合が殆んどだろ。お前がこんな片田舎の町に来るなんて、疑わんほうがおかしいだろうが」

 アーキルは、ソーレの真意を探るような視線を投げ掛ける。
 確かに、アーキルの言う通り、皇帝からの依頼でおばばが星読みをする場合、帝都に出向いている。ルーナは同行したことなどはないが、それが普通だと思っていた。
 アーキルとソーレの間に緊迫感が漂い、ルーナは少し外したほうが良いのではないかと、本能で感じた。

「お前には嘘は吐けないからな。陛下からの別依頼で来た」

「やっぱりな」

 ここまで聞いたところで、ルーナは奥に引っ込んだ方が良いと思い、部屋から出ようとした。

「ルーナ、待て。この男はお前に用があるようだ」

 アーキルはあっさりと言い、何時もからは想像できないぐらいのナイフのような鋭い視線で、ソーレを見た。

「お前は何から何までお見通しだな。そうだ、俺は、月の子に用がある」

 ソーレはあっさりと認めると、怜悧さが滲んだ眼差しをルーナに向ける。こちらが震えてしまうような冷たさと鋭さを持った眼光だった。

「率直に言う。月の子よ。お前のヒーラーとしての力を借りにきた」

「わ、私のですか!?」

 ルーナは驚きの余りに、目を丸くする。まさか、自分が指名されるとは、思わなかった。
 だが、どうして自分が指名されたのか、ルーナは解らない。自分よりも強いヒーラーは、月の民にはいくらでもいる。ルーナは並のヒーラーだからだ。

「……私はヒーラーとしては普通です。とりとめて凄い能力があるとは思えません」

 帝国のエリート中のエリートである、第一騎士団団長がわざわざ指名するような力はない。それは自分が一番解っていると、ルーナは思った。
 ルーナは首を横に振ると、唇を固く噛み締める。蒼い月の夜に生まれたのに、全く力なんて持ち合わせていないのだから。
 最近は、それを強く感じさせられる。だからこそ、そんな自分が腹立たしい。

「お前は誰よりも潜在的な力を持っている」

「かいかぶりです。蒼い月の夜に生まれても、たまに私のように能力が発揮できない者もいるんです。おばば様が言ってました」

「それはお前がちゃんと力を使ってはいないからだろう。いや、力はあっても、まだまだ充分に引き出せないからじゃないのか? まあ、とにかく。今、お前の力が必要だ。皇室のあるお方がご病気で、ヒーラーの力がどうしても必要だ。それも強い力の。そこでお前に白羽の矢を立てた」

 ソーレは切れるような眼差しで真っ直ぐルーナを見つめてくる。この太陽のように堂々とした鷲の瞳からは逃れられない。だが、自分にはそんな能力がない。

「私には無理です」

「やってみないと解らないだろうが、そんなことは。やる前から言うな」

 ソーレは冷たく突き放すようにピシャリと言い放つ。先程の明るい青年騎士の面影はなく、厳しい騎士団長の顔になっていた。何事にも冷静に対処するだろう男の顔だ。
 ルーナは眼を見開いたままで、思わずソーレを見返す。厳しくも真摯な眼差しで、ルーナをただ捉えている。逃げたくても、逃げられないほどの力強い目だ。

「俺はお前に白羽の矢を立てた。頼るのはお前しかいない」

「……おい、ソーレ、ルーナ以上の能力者などゴロゴロとしているだろ」

 アーキルが怪訝そうに言ったが、ソーレはクール過ぎる表情のままで、首をキッパリと横に振った。

「既に試したさ。帝国一のヒーラーにも来てもらった。それでもダメだった。で、お前のところに医術修業をしている、おばば様が育てた月の民の子がいると聞いてな。しかも"月の子"らしいと。おばばと帝国一の医師と言われているお前から学んでいると聞いて、興味があった。ひょっとして、何とか出来るかもしれないと、俺は思った」

 ソーラは、美しい青い瞳をクールに輝かせながら、鋭く向けてくる。

「解っただろう。こいつは普通の女の子だ。まだまだ幼い。それにヒーラーではあるが、普通のヒーラーだ。取り立てて能力があるわけではない」

 アーキルは、いつものちゃらけた態度が想像できないぐらいに、情け容赦ないきつい態度だった。

「俺はそうは思わない。だからこそ、ここまで来た。お前と月の子が一緒であれば、治せるかもしれない。お前たちは最後の希望だ」

「そんな根拠はねえだろう、ソーレ」

 アーキルは益々不機嫌になる。絶対にかかわらないとばかりに、かなり頑なな態度だ。頑固に腕を組み、眉間に険しい皺を作って気難しい顔をしている。精悍に整っている容貌だからこそ迫力がある。こんなアーキルは見たことがないと、ルーナは思った。

「アーキル、お前も月の子の潜在能力の高さを、薄々気づいているから、言うんじゃないのか? ただ、引き出す力がまだついていないというだけで」

「知るかよ、そんなこと。だが、俺が知る限りは、ルーナは普通のヒーラーだ。俺は、ルーナを医師として立派に育てて、ヒールと医術の両方で人々を救って貰いたい。そう考えているだけだ」

 アーキルは医師としての厳格さを冷たい炎に換えて、ソーレに見せつける。ソーレはそれを薄笑いすら浮かべて、堂々と受け止めた。

「だろうな」

 言って、ソーレは一拍を置くと、アーキルを本腰入れて見つめた。

「----アーキル、今回、ご病気なのは、エスメラルダ様だ」

「エスメラルダ……様……」

 アーキルの顔色が変わる。

「ご病気が更に悪化している。せめて現状が打開できればと思っているが……。だから、今回の件はお前と月の子が最適であると、俺は思った」

 エスメラルダ。その名前が出た瞬間、普段は感情を表に出さずに飄々としているアーキルの表情が一変する。明らかに動揺していた。

 間髪入れずに、アーキルはソーレを見る。何処か思い詰めた瞳だった。

「ソーレ、俺は行く!」

 アーキルが即決したことに、ルーナは目を見開く。いつもダラダラとしているアーキルが、こんなにも早く決断するなんて、ルーナは思ってもみなかった。

「ルーナ、帝都に行くぞ!」

 アーキルの勢いに、ルーナはたじろぐ。

「え、あ、あの、おばば様の許可を貰わなければ、私は行けません」

 いきなりの展開に、ルーナは戸惑いながらも冷静に言った。

「そうか。そうだよな。月の民は、村から出る場合おばば様の許可がねぇとダメだったな」

「それなら大丈夫だ。おばば様の許可は取った」

 周到なソーレに、ルーナは驚き、アーキルはフッと甘い笑みを浮かべた。

「よくまあ、あのおばば様の許可が出たものだ。しかし、診療所を閉めなければならねぇのが、難点だ」

 アーキルは毎日のように溢れかえる患者のことを思い、表情を暗くする。それはルーナも同じだ。患者を癒すことが、ルーナの生きがいでもある。

「それも手配した。これからひと月の間、ヒーラーと医師、それぞれ二人ずつ常駐させる。これならば文句はないだろう」

 ソーレのかなりの用意周到ぶりに、ルーナは驚くばかりだ。アーキルやルーナがこの件を承知するとは限らないと言うのに、根回しをするなんて、侮れないと思った。きっと、どんなに渋っても、ふたりを帝都に連れてゆくつもりだったのだろう。

「すぐに出立の準備をしてくれ。月の子は、村に帰って、おばば様に挨拶をしておけ。お前の準備が終わって、挨拶が終わる頃に迎えに行く」

 ソーレはてきぱきと指示を出す。この辺りが、エリート集団の団長たる所以なのだろう。

「はい」

 ルーナは呼吸を整えながら、しっかりと頷いた。

「月の子、お前は馬に乗れるか?」

「乗れます。自分の馬を持っています」

「よし。かなりの早馬で行くからな。覚悟をしておいてくれ」

「はい」

「では、午後からは、俺が頼んだ医師とヒーラーに来てもらうから、今直ぐに支度に戻ってくれ。人の命がかかっている。時間を争うから、早く出立したい」

 ルーナは頷くと、早速、帰り仕度をする。

「では、準備をしに帰ります」

「ああ。準備と留守番部隊の引き継ぎが終わったら、俺とソーレが村に迎えに行くから」

 アーキルはルーナに頷きながら、きびきびした声で言う。いつもののんびりいい加減なアーキルは、きっと仮面にすぎないのだろう。

「私は引き継ぎをしなくても良いんですか?」

「ああ、大丈夫だ。引き継ぎと言っても、そんなに大したことはないからな。だから、お前はすぐにおばば様の所に戻って準備をしておけ。少しの間留守をするから、おばば様に色々と挨拶することもあるだろう」

「はあ。解りました」

 帝都には、そんなにも長居をするつもりなどないのに、ここまで言うなんて、アーキルは随分と大げさだと、ルーナは思う。

「じゃあ、出ます。家で待っていますから」

「ああ。俺とアーキルもすぐに支度をしていく」

「じゃあ、後で」

 ルーナは、医療器具を麻の丈夫な鞄に詰め込むと、それを肩から掛けて、診療所を飛び出すように出る。
 なるべく早く準備をしなければならないだろう。急がなければならない。
 村まで走っても、走っても、道のりがいつもよりも長く感じられた。

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