5〜着物〜
「若様、お、お先が立派なおのこであることは、お分かりですか!?」 私は不謹慎ななことを頭に思い浮かべながら、声をひっくりかえらせた。男が男の元に嫁ぐなんて、有り得ない。 若様はフッと不敵な笑みを浮かべると、私を薄く見つめた。 「…勿論、それが何か?」 余りに冷静で感情すら感じられない声に、私は背筋を震えあがらせた。 「不謹慎じゃないかと…」 「…そうだな…。じゃあ、夜の床はお前が供にすればいい…。だったら男だということはばれないだろう…。出来るだろ…? お前なら…」 試すように見つめられ、私は動けなくなる。若様の眼差しには、心を麻痺させてしまう魔力があった。 「…考えさせてくれねぇか…」 沈黙を破るようにお先が口を開く。何かを考えているようで考えていないような微妙な口ぶりだった。 「…解った。暫く、考えてくれ…。ただし、選択の余地は殆どないと思え」 偉そうに宣う若様に、私は胃がむかついてしまうぐらいに、ムカつきを感じた。 「横暴だわ! 私たちは何もしていないもの!」 「ここはそういう世界だ。この敷地に入り込んだ以上、お前たちは私たちに従わなければならない」 私がこんなに感情を爆発させているというのに、若様はクールどころかその上をいく残忍さを湛えている。信じられない冷血漢に、私は心を震わせる。これでは暴君以下だ。殴りかかろうとした私を、お先が瞳で制止する。 その眼差しの力に免じて、私は何とか怒りを治めた。 「何だか”俺がルールブック”だなんて言っているみたい…。ここには基本的人権の尊重はないのかしら…。だって、小学生だって今時識っているよ」 「うるさ」 小さな声でぐちぐち言っていると、お先は小さな声で叱責してきた。 完全にふて腐れていると、若様は僅かに笑い、私たちの前で腰を下ろす。 「…着替えて、落ち着かれて考えられれば良い…」 若様は僅かに誠実な煌めきを見せると、静かに立ち上がった。 「着物を用意して、ふたりにしてやれ」 若様の声に、部下たちが一志乱れず従う。こんなに低姿勢で疲れないのかと思った。私が若様の部下ならば、きっと自分を擦り減らしてしまう。 「…また後で」 始めの印象と同じような笑顔に、私は騙されやしないと思いながら、若様をひらひらと手を振って見送った。 お先とふたりきりになった途端に、張り詰めたものが消え失せて、へなへなと崩れ落ちた。まるで力の入らない蛸のようにぬめぬめふにゃふにゃしている。 「…ったく、威勢の良さだけだな、お前の取り柄は」 お先は長い前髪をかきあげながら、呆れ果てたとばかりに溜め息をつく。その仕種をひとつ取っても魅了されずにはいられないぐらいに、甘い美しさを持っている。若様ではないけれども、本当に女にしてもかなりの美人さんだ。 私はお先を独り占めするように、うっとりと眺める。 今まで、お先の近くにいて、こんなに胸がときめく瞬間が来るとは思わなかった。 初めて少女マンガの綺麗なキスシーンを読んだ時のように、甘酸っぱい切なさが胸の奥から込み上げてきた。 「おい、うるさ、ぼーっとすんじゃねぇぞ、こら! ちゃんとひとの話は聞けよ」 お先のよく響くテノールに、まるで猫のように私は身をすくませる。 「す、すみません…」 「ったく」 お先は軽く深呼吸をするとごろんと寝転がった。 「ちょ、ちょっと、何、寝ているのよっ!」 まるで破れかぶれのように、お先は背中を丸めて横になる。余裕があるのかないのか全く解らなかった。 「こんなところで悶々としていたら疲れるだけだろうが。だったら屁をこいて寝てたほうがマシ」 全くその麗しい容姿からは想像出来ないようなことを、お先はあっけらかんと話すと、まるで日曜日のお父さんのようにゴロゴロし始めた。 「お前もどうだ? 一眠り」 「いりませんっ! ったく、お先って歴史ロマンに夢を馳せるわりには、全くないよねロマンスが」 「ロマンスもロマンティックも俺には似合わない」 きっぱり言い切ると、今度は野放図なまでに大の字になる。 もうお先にロマンティックを求めるのは止めよう。頭を抱えていると、都合が良いぐらいに襖がゆっくりと開いた。 「御召し物を持って参りました。お召しかえをなさって下さい」 綺麗な侍女はまるで時代劇に出てくる大部屋女優のようだ。 私が丁寧にそれを受け取ると、侍女は静かに部屋に入って来た。 「お手伝い致しますわ、お姫様」 「…お姫様はあっちでお尻をかいているオッサン、私はお姫様ではないよ」 「いいえ、背が小さくておかわいらしい方が姫様で、綺麗だけれどがっしりとしていらっしゃる方に、大きな着物をお貸しするようにと殿から承っております」 「…そうなんだ」 あの若様が考えることは何が何だかサッパリ解らない。 私は、とりあえずは着物を見ることにした。 「へぇ、桜柄かあ…。可愛いなあ!」 「それはお姫様にと若様から」 「え!? 何、これは…でめきんと金魚じゃない…」 かなり大きな着物は、明らかにお先の為に用意されている。だがかなり趣味の悪い柄に、私は若様の悪意を感じずにはいられなかった。 「有り難う、お姉さん、お名前は?」 私が礼を言うと、侍女は驚いて私を見る。 「桔梗です」 「桔梗さん有り難う。だったらこれを着るのを手伝ってくれますか?」 「はい…!」 桔梗さんは笑うととても優しい雰囲気を持つひとで、お姉さんのように頼りになる雰囲気を持っている。 私もいつかはこんな風になりたいと思いながら、にんまりと笑った。 「お先、着物が来たよ。お姉さんに手伝って着せて貰おうよ!」 「俺は自分で着られる。お前と違ってな」 「じゃあ着替えるから、覗かないでよ」 「誰が発育不良のを見るかよ」 なんて憎たらしい男なのだろうか。私は思わずでめきん着物を投げ付けてやる。 「…ってぇ! 何をしやがるっ!」 私は思いきりあかんべぇをお先にすると、桔梗さんには満面の笑みを浮かべた。 「じゃあお願いします」 お先に背中を向けながら着替えるのは、背筋が震えてしまうほどに緊張する。私はぎこちなく立ちながら、殆ど着せ替え人形のように、着物を着せてもらった。 「まあ、良くお似合いですわ! この美しい紐で髪を括られるといいですわね」 友禅織の布で、私の髪をふんわりとひとつに縛ってくれた。 それだけでいつもとは違った特別なときめきを感じる。 「お先、着替えた?」 「俺は器用だからとっくに着替えた」 お先は面倒臭そうに言うと、私に向かって振り返る。 着物姿のお先に、私の心臓は大きな音を立て始める。なまめかしい鎖骨が見え、生唾を飲み込んでしまうぐらいに色香がある。先程の綺麗さはなりを潜め、代わりに精悍さだけが強調される。こうなると、でめきんの柄なんて、余り意味を成さなかった。 私は思わず見惚れていた。 一瞬、お先は私を見て、息を呑んだように思えた。それは本当に瞬きをするぐらいの時間で、お先は綺麗な顔を顰めると、イライラするかのように髪をかき上げ、またごろんとマグロのように横になる。 「寝る」 お先らしいといえばらしいコメントだが、その声はどこか拗ねているように聞こえた。 「寝るって、これからどうするか、色々相談しないといけないのに、もう」 「お前も寝ろ、うるさ」 桔梗さんも呆れて苦笑いを浮かべているというのに、お先は何処吹く風だ。 「じゃあ、私はこれで」 「あ、桔梗さん、本当にどうも有り難う!」 桔梗さんが部屋から出て行くのを丁寧に見送った後、私はお先を睨み付ける。今兄失礼な男は、本当にいないと思う。髭を剃って眼鏡を取って、少しぐらい綺麗になっても、やはり本質は変わりがないのだと、改めて思った。 「お先! 失礼だよ!」 いくら言っても、後に残るのは高いびきだけ。 私はしょうがなく溜め息を吐くと、お先のとなりに躰を横たえると、いつの間にか眠ってしまった。 |