4〜身代わりの姫〜
「病ですか?」 若様は神経質にスッと目を細めると、背筋が凍りつくような笑みを浮かべる。最初の印象が実直そうに見えたので、そのギャップはかなり大きかった。 印象よりも、ずっと油断ならない人物かもしれない。私は気を引き締めた。 「そう言いたいところですが、そうじゃない。静姫は毒殺されたのです」 淡々と若様は語るが、聞かされた事実に、背中に底知れない恐怖がせり上がってくるのを感じる。ふと若様を見ると、無常さを瞳に滲ませて、僅かに視線を伏せる。どこか寂しそうだった。 「毒殺…」 私が青ざめながら生唾を飲んで反芻すると、若様は深く一度だけ頷く。 「…忙殺はよくあることなのです…」 若様の低い声は静かで、信じられないほどに冷酷だった。 若様は私たちを交互に見た後、精微に確認出来るほどに近づいてくる。クールで獰猛なきらめきがあったせいか、私は胸をわしづかみされたような気分にさせられた。ときめきとは少し違う種類の痛みを覚える。 「…そうですね…」 ちらりと私を見たものの、若様の関心は、お先にある。 若様は吐息のような笑みを浮かべると、お先の顎を、細くて綺麗な指先で持ち上げ、まるで値踏みをするかのように見つめた。 「…あなたなら…静姫の代わりになるかも…」 お先と若様は、まるで時代劇に出てくる将軍と大奥の侍女のように見える。 お先が見初められたかと思うとある意味ドキドキした。渇いたときめきを感じずにはいられない。 だが、お先の肩は屈辱で震えていた。何が起こっているのか、見極めるためにギリギリまで我慢しているように見える。 「…髭を剃って下さい。用意をさせます。…それからですね…」 フッと笑うと、若様は男性らしいお先の顎から指を離した。 お先の横顔を盗み見ると、僅かに強張っている。本当は若様を殴り倒したい気分なのだろう。 「…待っていて下さい。直ぐに剃刀を用意させます」 丁寧なのにどこか蔑んだ色を持つ若様に、お先は爆発寸前だった。だがここで爆発をしてしまえば私たちには後がないように思えた。若様の腰にも、横にいるお付きの侍の腰にも、立派な刀が下がっている。これに対して私たちは丸腰。打算な考えに怒りを鎮めるしかなかった。 若様が部屋を辞すると、お先は肩から力を抜く。 「どうなっているんだか…」 困惑の余りにお先は溜め息を吐くと、煩さそうな前髪をかきあげた。 細かいところまで整い過ぎているお先の瞳は、まるで作りもののようだ。綺麗なきらめきに、私は吸い込まれるように覗きこんだ。 「…ホントにお先って美人さんだよね」 「馬鹿、それを言うな。お前みてぇなおバカがイッパイいるから、俺はな、ああやってむさ苦しくしてんだよっ!」 まるで子供のように拗ねるお先は胡座をかいて、私から視線を外している。瞳の近くがうっすらと朱く染まっているのは、照れている証拠だ。 「お先さ、きっと本当のお先を曝したら、女の子にモテモテだと思うんだけれどな」 「モテるかよ」 「憧れる子は多いと思うよ。今みたいに、邪険にされることはないと思うよ」 本当に強い確信を持っている。お先はかなりモテるだろう。こちらが驚くぐらいに。あっという間に女の子に囲まれて、ゼミにも沢山集まるだろう。 私はきっとその様子を遠くから見ているだろう。僅かな嫉妬とひねくれた心を持って。そう、まるでモテる男に嫉妬している男のように悪態をついて。好きなひとに意地悪をしたくなる小学生のような態度を取るだろう。 そうしたら確実に寂しいだろうなとは思う。 今まで、お先の最も傍にいられたのだから。 ふと沈みこんだ私に、お先はまた何時ものように、大きな手をぱふっと頭の上に置く。 「バーカ、モテモテ困っちゃうの状態だと、俺がマジで困るの。それに顔だけ見ている女は、マジでうざいしな。俺はマスコットじゃねぇし、女のアクセサリーじゃねぇんだよ。だからモテなくて結構。女なんて本当はひとりで充分なんだからな」 私の髪をくしゃくしゃにしながら、まるで小さな女の子をあやすように言う。お先の言葉にほんの少し安心しながらも、どこか勿体ないと感じた。 「しかし、俺の顔のことをとやかく議論している場合はねぇだろ? とにかく、今の状況を把握して、すべきことやらなきゃな」 不意にお先の瞳は、深い蒼を宿す。先の不透明さを感じさせる眼差しだった。 「しっかし、何だよ、あのナマイキな若様は。まぁ、この混乱している時代を生き抜くには強さは必要だとは思うけれどな。ったく、若様じゃなかったら張り倒しているかもな」 お先は顔をしかめ、まるで嫌な虫を見るかのような瞳をしていた。 確かに先程の屈辱的な行動を見れば、そう思っても仕方がない。 「…また、この顔のせいでトラブるのかよ」 お先は諦めに似た溜め息を大きく吐く。すっかりうんざりしているようだった。 「トラブるって」 「ああ? まあ時効だし、うるさだからいいか。俺がまだむさ苦しくする前に惚れた女がいたんだか、この顔を理由にフラれた」 「普通なら逆じゃない!」 若い頃の女は、特にアクセサリーを選ぶような感覚で、男の容姿を気にするものが多い。そんななかで、綺麗なお先を振ってしまうとは、余程のことがあったのだろう。 私はその女性がなんと勿体ないことをしたのかと、思わずにはいられなかった。 「だから容姿だけで俺に付き纏わない賢い女だから好きだったんだよ」 「なるほど」 確かにそれは貴重な女性だ。あのお先を容姿以外で見られるとは、奇跡としか言いようはない。 「ある意味凄いひとですね「だろ? それで俺が告ったら、きまじめな顔で困ったように言うんだよ。『そんな綺麗な顔をしたあなたの隣で、笑って立っている自信はありません』って。結局、こいつも、ある意味俺の外しか見ていなかったと思うと、恋も醒めちまったけれどな」 お先は八方破れのどこかやけっぱちな笑みを浮かべると、空を見つめた。 「お先はこだわり過ぎだと思うよ。きっとお先の内も外も好きだって言ってくれるひとはいるよ。それによく言うじゃない。美人は三日見たら飽きるって」 「確かにな」 くつくつと喉を鳴らして笑うお先に、私はほんのりと温かな気持ちになった。 ここに来てからは、笑う暇などなかったから。 「まあ、お前だから、別に素顔を曝しても平気なんだろうな」 何気なく言われた一言に、私はドキリとした。 「それって…」 「まあ、あんまり気にするな」 その先を聞きたい。だが、お先がごまかすように笑い話を切ってしまったので、これ以上は聞くことが出来なかった。 ノックという概念は当然ないのか、若様が大胆に襖を開ける。 「剃刀を持ってきました…」 「お先、諦めて髭を剃ったら」 「…ここなら良いけどな…」 ごにょごにょとスッキリしないように言い、お先はちらりと拗ねるように私を見る。 「惚れるなよ」 「誰がっ!」 本当は言葉通りに惚れてしまうかもしれない。だが、素直に認めるのはしゃくに障るから、私はわざとあまのじゃくを演じた。 「…剃りますか?」 「剃るさ。仕方がねぇからな」 薄笑いを浮かべる若様を睨みつけながら、お先は剃刀を手にする。磨がれた剃刀は、宝石よりも美しく光っていた。 私は息の仕方を忘れたのかと自分で思うほど緊張する。背筋が引き締まった空気に覆われていた。 お先は、一瞬、眉を上げると、まるで密林ジャングル樹海が一緒に合わさったような自分の髭を、一気に剃り始めた。手慣れているのは、やはり男性にだからだろうか。 汚いものをすっかり落としたお先は、本当に綺麗だった。それしか表現しようがないぐらいに、まばゆくて、綺麗だった。 私が見とれるようにぼんやりとしていると、お先は顎のラインを大きな手でなぞりながら、私を見た。 「切れてないぜ?」 「そんなしょうもないことを言っている暇はないでしょっ!」 私は照れ隠しをするように言い、まるでお先を非難するかのように睨みつけた。 「…剃った顔は…やはり静姫に似ています…」 性悪若様は、お先の顔をしげしげと見つめた後、また顎を持ち上げる。 お先の顔は、男にしておくには勿体ないほどに整っているけれども、顎のラインや躰の精悍さは紛れも無く男性のものだ。 探るような目をしながら、薄い軽薄な唇を歪めると、若様は感情のない声で言った。 「妹は本来ならば明後日、嫁入りするはずでした…。お先と仰いましたか…あなたには静姫の身代わりをしていただきます」 若様の提案に私は耳を疑った。 |