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そんな優しい目で見ないで。 そんな哀れみの目で見ないで。 ----だって、私はあなたに甘えてしまうから。どうしようもなく甘えてしまうから。 私は誰にも甘えないことを決めたから。 だからそんな目で見ないで---- 私は、榊くんの眼差しを振り払うように背筋を伸ばすと、明るくデスクについて見せた。 「さてと、これからはビシバシやることが多いから頑張らないとね! 榊くんも私がトレーナーでいる間は、色々と覚悟してついてきてね。こき使ってばっかで、研修どころじゃないと思うけれど」 「はい、解りました」 一瞬、榊くんの眼差しを見ると、安堵を滲ませ兄のような大きな感情が宿っているのが見える。お願い、そんな瞳で、私を翻弄しないで欲しい。 なんだか甘えてみたくなるから。 女ひとりで意地を張って30過ぎまで来てしまうと、なかなか素直になれなくなる。余計に意固地になって、私は肩肘を張り歩かなければならなくなっている。 男の人に甘えるのはもう卒業した----なんて理性に言い聞かせながらも、私のこころの奥底で眠る「女の子」が、それをいつまで経っても許してくれないのだ。 だからこそ、どんな優しい眼差しがあったとしても、それを捨て置いて生きていかなければ。 もう傷つくのは嫌だから。 夢見る夢子である自分の一番大切な部分が傷つくのが嫌だから、私は恋愛なしで頑張ってきた。 これからもずっとしないつもり。 それはマンションを買って、自分の城を築いたときに決めたのだ。 「さてと! これから大々的な商品発表会の演出を考えないといけないし、忙しくなるね。あ、榊くんも、過去の商品発表会の資料とかを読んで、何か良いアイディアがあればどんどん出してね」 「はい、解りました」 「えっと、資料はね…」 私は机に置く手のひらに明いっぱい力を込めて立ち上がると、資料を収めているロッカーに向かおうとした。 「あっ!!」 「長谷川さんっ!」 私にとっては戦闘靴のようなハイヒールのバランスを崩してしまい、躓いてこけそうになる。 だが、こけなかった。 どうなったかは推定できたが、私はゆっくりと振り返ってみた。 すると、躰はしっかりと筋肉質の腕に支えられ、怪我どころか、どこか甘い疼きを私に与えている。 恐る恐る顔を上げると、榊君がまるで小さな女の子を見るような目つきで私を見て微笑んでくれた。 「大丈夫ですか? 長谷川さん」 「あ、有り難う、榊君」 焦って離れようとする私の躰に更に榊君の腕が食い込んでくる。胸の下というかなり微妙な位置過ぎて、私は心臓がばくばくした。 けれどもそんなことを悟られたくはなくて、私は冷静になれと自分を言い聞かせながら、浅く深呼吸をした後、しっかりとハイヒールでリノリウムを踏みしめた。 「助かった、有難う、榊君」 私はクールで大人な女を装うと、なるべく冷たい笑みを浮かべた。 「ロッカーから資料を出すね」 「はい、お願いします」 後ろを着いてくる榊君の男臭さを意識しながら、私は何事もなかったように必死になって振る舞う。本当は心臓が喉から出そうだったし、喉がからからになるぐらいに緊張してしまう。 男の人にこんなに近付くのが久しぶりだからなのか、私は随分と甘い緊張をしていた。 「はい、これ資料ね」 「有り難うございます」 私は過去のプレゼン資料を適当にロッカーから取り出し、何冊も榊君の腕の中に積み上げていく。それをいとも簡単に受け取る榊君は、やはり腕力があるのだと思う。 筋肉質で力が漲った腕が、先程まで私の躰を支えてくれていた----意識してあの腕を見過ぎてしまい、私は躰の奥が妙に熱くなるのを感じた。 こんなに逞しい腕に躰を受け止めて貰えたのなんて、何年ぶりなのだろうか。 「どうかしましたか? 長谷川さん?」 余裕のあるような笑みに、私は思わず咳払いをして誤魔化してしまう。 「あ、何でもないの、本当に。ほら、しっかりと資料読んで、それで良かった演出だとか、企画を書き出してレポートにしてね。ちゃんと目は通すから。また、そこからなにか発見出来たものや、自分ならこうしただとか…。そんな考えがあったら、レポートに書いて欲しいの。良い?」 「はい、解りました」 返事は切れがあって、訊いている私が気持ち良くなる。私はお姉さんらしい笑みを浮かべると、しっかりと頷いた。 「長谷川チーフ! 電報DKから電話が入ってます」 「はい、今行きます!」 私は直ぐに自席に戻り、広告代理店との打ち合わせ電話を受ける。次回の打ち合わせ日程を決めるのが主な用件だが、その打ち合わせに榊君を同席させようと、今、この場で決めた。 電話を受けながらも、私はちらりと榊君を目で追っていた。 本当に今時の綺麗な容姿の男の子だ。 長身で顔が小さくて、バランスが抜群に良い。大きく整った瞳は綺麗なのにどこか男臭さも漂っていて、これぞ少女マンガの王子様のような甘い顔をしていた。私が彼と同じぐらいの頃には、こんな綺麗な男の子は、それほどいなかった。しかも、ここまで条件的に整っている男の子なんて、殆ど見かけなかったと思う。 ふと、入り口に加賀見拓海の姿を見かけ、私は心臓がすくみ上がるような気がした。そう、私たちの同期の中で、仕事が良くできて容姿も良い、好条件の男は拓海ぐらいしかいなかったと思う。 私なんてどこにもいる女の子だった。取り立てて魅力もない、容姿は十人並み。 だが運命の悪戯で同じように多岐川さんの元で厳しいトレーニングを受けたせいか、私たちは戦友のようになり、何時しかそれが恋へと変わったのだ。本当に良くあること。だが、それはもう過去の話。 一瞬、拓海と目があった。 私が視線を逸らしたのに、拓海はそれに臆することなく真っ直ぐと私を見つめてくる。私は無視をするように電話に集中しようとしたが、用件はあっさり終わってしまい、電話を切らずをえなかった。 「----長谷川さん」 「はい、何でしょう加賀見さん」 私はいつも以上にビジネスライクに応えると、拓海は苦笑いをする。 「君がPRを担当する商品だが、俺がチーフ営業としてつくことになった。その挨拶を兼ねて来たんだ」 「そう。宜しくお願いします」 本当はクールじゃない。本当は私がとても子供だということを、拓海は知っている。だが、そんなイメージを覆させるように、私は立ち上がって拓海に堂々と挨拶をして見せた。 「お互いに、新製品が成功するために頑張りましょう」 あの時には掛けていなかった、こころを防衛するための眼鏡を通して、余裕のある笑みを浮かべた。 「よろしくな。君は同期の出世頭のようだからな」 「それは加賀見さんも」 私は微笑むと軽く息を吐いた。 「ねえ、仕事に戻って良い?」 「ああ。それじゃあまた」 拓海がフロアから出て行くのを見届けてからパソコンに向かうと、榊君が無感情の瞳でこちらを凝視している。私がその視線に気付くと、榊君は直ぐに逸らせてしまった。 私は肩を竦めると、再び仕事に戻る。 企画書の文面を考えながら、何度も溜め息を吐いた。いつもこの時間だけは、胃が強張りを見せる。 パソコンの歪んだディスプレーばかりを見ていて目が疲れたので、それを癒やすように榊君を見ると、一期上の高木さんの荷物を持つ手伝いをしていた。 にこやかに穏やかに手伝う様を見ると、何だか微妙に苛立ちを覚える。 あんな素敵な男の子が、私だけに優しいわけがない。彼はきっともの凄いフェミニスト、誰にだって優しいのだろう。 そう思うと、こころが身勝手に沈む。 私は自分の我が儘で気まぐれな気分に辟易しながら、仕事に没頭した。 定時を告げるチャイムが鳴ったので、私はそこで一旦仕事を止め、榊君に声を掛けに行った。 「榊君、今日はもう良いよ」 「長谷川さんは?」 「私はもう少し残業かな」 「だったら、俺も残ります」 榊君は爽やかすぎる笑みを浮かべると、私を真っ直ぐと見つめた。 「いいんだよ、本当に。デートとかあるだろうし」 私は先程の高木さんへの微笑みを思い出しながら、じりじりとした気分で榊君に言った。そんなことをぶつけてもしょうがないのに。 「そんなものはないですよ。それよりも研修をひとつ頼んで良いですか?」 「何?」 「正しいアフター5の過ごし方を、長谷川さんなりに教えてください」 真っ直ぐと力強く見つめてくる瞳には、私に命令する力がある----逆らえない。 深入りしたくはないのに。 アフター5まであなたと付き合ってしまったら、また私の「夢見る夢子」が顔を出してくる。 けれども私はどうしても断り切ることが出来ずに、溜め息混じりに呟いた。 「----いいよ」 |