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榊君と、”恋人同士”になったという感覚は、なんとなくくすぐったい。 本当にそうなんだろうか。夢じゃなかろうかと、何度も思ってしまう。 今までなら、私的なメールをくれることがなかったが、朝、昼、そして仕事が終わった後にメールをくれるようになった。お互いに忙しいのは解っているから、出来る範囲で返信しあっている。携帯を見て、こっそりにんまりする日々が続いている。 相変わらず仕事は忙しい。 今日も、私は、開発営業と一緒に、新しい商品のPRについて会議に参加していた。もちろん、夏乃も、多岐川さんも、拓海も、そして榊君も参加している。 新しい商品は、保湿とくすみを防ぐ、冬に向けての基礎化粧品だ。開発営業が満を持して企画した商品で、PRも産休明けの美しいモデルを起用する予定だ。多岐川さんの気合はかなり入っている。 もう一つのラインは、アイシャドウとリップスティックの秋の新製品。こちらは、日常生活をドラマティックに描き、あえて有名なモデルや女優を使わないようにした。それにも私なりの拘りがある。 今後のPRについてや、営業体制についての話し合いだ。 どちらのPRも私が関わってきたが、同じ時期にリリースする予定になっている。 「今回の化粧水のラインは、うちは俺と、長谷川夏乃、榊連の三人で担当する。アイシャドウのラインは加賀見だ。そちらは、どうする」 多岐川さんは広報部のマネージャーに訊いてきた。 「どちらも長谷川……春乃が担当しているうが、長谷川はアイシャドウラインをメインに担当に、化粧水は俺がメイン担当の予定だ」 「そうか。バランスは取れているな」 多岐川さんがあっさりと言う。 「長谷川さん、よろしく」 「こちらこそ、加賀見さん宜しくお願いします」 私が拓海に挨拶をしているのを、じっと榊君が見つめている。 今は、同じ仕事をしないほうが良いと、私は思ってはいる。冷静に判断出来なくなるからだ。 会議が終わった後、私は拓海と一緒に、今後の打ち合わせに入った。この打ち合わせの後、長谷川さんたちに合流する予定だ。 私と拓海は、あくまで仕事上の打ち合わせしかしなかった。書類を交換し合い、今後の方針を決定する。PRには、営業の意見は欠かせないのだ。 「CM発表会がヤマですね」 「そうだな。営業としてサポートする」 「お願いします。では打ち合わせはこれで終了ですね。多岐川さんに合流します」 私が立ち上がると、拓海がじっと見つめてくる。 「なあ、榊と何かあったのか?」 「え?」 拓海の鋭い一言に、私は思わず息を呑む。 「榊がさ、妙に俺に絡んでくるんだよな。絶対、お前がらみだと思うけど」 「気のせいじゃないのかな」 私は内心ドキドキしながら、わざとクールに返事をした。榊君と恋人になったことは、まだ秘密にしておきたかった。 「まあ、あいつは、お前にご執心のようだからな。俺とお前が一緒に仕事をするのが気にいらないみたいだからな」 「まあ、トレーナーだったから」 「それだけじゃないと思うけれどな。ま、多岐川さんが待っているから、行ってこい」 「じゃあ」 拓海は私を複雑な眼差しで見つめる。どこか、何かを訊きたそうな眼差しだ。だが、彼は何も訊いては来なかった。 私はミーティングルームを出ると、多岐川さんたちがミーティングをしている部屋に向かった。 ノックして入ると、いきなり榊君と目があった。切れるような瞳で私を見つめてくる。その鋭い眼差しに、一瞬、怯んだ。 妹と、カレシと言える人がいる不思議な空間。 そして不思議な打ち合わせの時間となった。 私は、あくまでサポートで、完全にこのプロジェクトにかかわらないけれども、伝えなければならないことは、きちんと伝えておいた。 打ち合わせやらで、結局はかなり遅くなってしまった。 明日からは二日間休みだ。 私は休めるが、榊君たちのプロジェクトは、開発営業が力を入れているせいか、休日出勤だと聞いた。 タッグを組んで仕事をしながらも、同じように休めないのが寂しい。 解っている。これは私の我儘だということぐらい。 榊君たちは、明日が出勤になったということで早々に帰ってしまった。 私や、拓海は、明日を休むために、ギリギリまで仕事をする。休日出勤するほどではなかったから、残業することにした。 仕事が終わり、私は拓海と二人で会社のロビーまで一緒に歩いてゆく。するとロビーには、まるで小さな子供のようにしている榊君がいた。 「榊君……」 「春乃さん、遅いですから送ります」 榊君は言うなり、私の手をしっかりと握りしめた。その手は力強くて、私を絶対に離さないとばかりの勢いがあった。 「あ、有難う」 「行きましょう」 榊君は、拓海に鋭い一瞥を投げると、そのまま強引に私の手を引いてゆく。 「加賀見さんお疲れさまでした」 「あ、加賀見さん、また、お疲れさまでした」 「あ、ああ。ふたりとも、お疲れ様」 私と榊君の姿を見て、拓海は呆気にとられたように挨拶をした。 会社を出た後も、榊君は無言だった。ただ、ひたすら私の手を引いてゆく。その手の力は。榊君が男であることを、私に教えてくれる。 ようやく駅まで来て、榊君は落ち着いたのか、私を見た。 「榊君、明日は仕事でしょ? 大丈夫なの」 「俺は、平気です」 榊君はキッパリと言い切ると、私の瞳をじっと見た。どこか不安な眼差しだ。 「こんなことをして、俺のことを軽蔑していますか?」 「え? 迎えに来てくれて、私はむしろ嬉しかったよ」 「良かった……」 榊君はまるで少年のようにあからさまにホッとした表情をすると、私の手を改めてしっかりと握り直した。 いわゆる“恋繋ぎ”----こんなことをしたことがなくて、私はむしろドキドキが止まらなくなる。戀を始めたばかりの中学生のような初々しい気持ちを抱いて、逆に恥ずかしくなってしまった。 こんなこと、良い年して本当に恥ずかしいと思ってしまう。 ドキドキしながら頬を染め上げていると、電車がホームに滑り込んできた。 「送りますよ、マンションの前まで」 「有難う」 榊君は騎士よろしく、私の手を握り締めたままで、一緒に電車に乗り込む。 私は、榊君の横顔をじっと見つめてしまっていた。 こんなに素敵な年下の彼が、私のことを好きでいてくれるなんて、信じられない。 だがそれは現実で、とてもリアルなことなのに。 「春乃さん、明日、仕事の帰りに、春乃さんの家に寄って良いですか?」 「あ、う、うん。良いよ」 「良かった。明日は5時までなので、夕食でも一緒に」 「そうだね。ご飯作って待っているよ」 私はほんのりとした幸せを感じながら、榊君に呟く。 榊君もまた、優しい笑顔で私を見つめてくれた。 明日。 こんなに週末がときめきを帯びるなんて、思っても見ないことだった---- |